ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

マザーテレサの苦悩

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 救いが行いによるものではなく、神の一方的な恵みによるものであることを改めて確認するため、マザーの苦悩について記事を書いてみました。
 
 クリスチャン・トゥデイ「シスターから聖人へ」によれば、マザーテレサは、今年中にカトリックの聖人に列聖されるそうです。
 
 しかし同記事の中に「マザー・テレサ自身は自らの信仰で苦悩することが多く、神から切り離されていると感じ、人生の中で神を見いだすことができなかった」とあるとおり、マザーは生涯、信仰上の問題を抱えていました。
 
 具体的にはどのような苦悩だったのでしょうか?
 
 
●マザーの苦悩
 
 20078月、タイムマガジンは、マザーテレサの霊的苦悩を記した汝来たりて我が光とならんという書籍のレビューを掲載し、その中でマザーが懺悔聴聞司祭(ざんげちょうもんしさい)に宛てた書簡の内容を紹介しています。
 
In March 1953 she wrote to her confessor: “... there is such terrible darkness within me, as if everything was dead. It has been like this more or less from the time I started ‘the work.’”
 
19533月、彼女(マザーテレサ)は、聴聞司祭にこうしたためた。「私の内側には酷い暗闇があります。あたかもすべてが死んでいるかのようです。多かれ少なかれ、この暗闇は、奉仕の働きをはじめた時からずっとあるのです。」
 
At the suggestion of one confessor she wrote the following to Jesus: “I call, I cling, I want -- and there is no One to answer -- no One on Whom I can cling -- no, No One. -- Alone ... Where is my Faith -- even deep down right in there is nothing, but emptiness & darkness. ... When I try to raise my thoughts to Heaven -- there is such convicting emptiness that those very thoughts return like sharp knives & hurt my very soul. -- I am told God loves me -- and yet the reality of darkness & coldness & emptiness is so great that nothing touches my soul.”
 
ある聴聞司祭の勧めにより、マザーはイエスに手紙を書いた。「私は呼ばわり、すがりつき、欲していますが、答えてくださるお方(神)がいません。すがりつけるお方(神)がいないのです。ひとりもです。孤独です。私の信仰(私の神)はどこへ行ったのでしょう。信仰の奥深いところには、空しさと暗闇のほか何もありません。(中略)
 
In 1962 she wrote: “If I ever become a Saint -- I will surely be one of ‘darkness,’” and again, “How cold-how empty --how painful is my heart. -- Holy communion -- Holy Mass -- all the holy things of spiritual life -- of the life of Christ in me -- are all so empty -- so cold -- so un-wanted. The physical situation of my poor, left in the streets unwanted, unloved, un-claimed -- are the true picture of my own spiritual life, of my love for Jesus” (Mother Teresa: Come Be My Light, p. 232).
 
1962年のマザーの書簡「もし私が聖人になるとしたら、私は間違いなく"暗闇"の聖人になることでしょう。私の心は、なんと冷たく、なんと空しく、なんと痛ましいことか。聖体拝領もミサも、霊的生活の聖なるもの、私の内にあるキリストのいのちに関するものは、何もかもが空しく、冷たく、不要なものばかりです。街の通りに置き去りにされた望まれず、愛されない貧困者たちの状態こそ、私自身の霊的生活、すなわちイエスに向けられた私の愛の真の姿なのです。」(マザーテレサ著「汝来たりて我が光とならん」P232より)
 
英文引用元:ウエイ・オブ・ライフ・リテラチャー発行:「マザーテレサは本当のクリスチャンか?」
 
 
まとめ
 
 もし救いが行いによるのであれば、マザーテレサほど救われるべき人物はいないと思います。
 
 しかし上記の言葉を見る限り、彼女は生涯、信仰の拠り所を見出すことができなかったようです。
 
 このことは、救いは行いではなくイエス・キリストにある信仰だけによることを物語っています。
 
 神が恵みによって私たちを選び、救ってくださったことを、改めて感謝する次第です。
 
 
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです第二テモテ1:9(新共同訳)
 
 
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