イエスを肯定する証拠は聖書のほかにも存在するのだろうか?
一部を訳ましたので、よろしければ読んでみてください。
サラス/Thallus(紀元52年)
サラスは、イエスに関する最も古い世俗文書を書いた人物で、余りにも古いため、サラス直筆の文書は現存しない。しかし紀元221年頃にユリアス・アフリカヌスという人物が、イエスの十字架刑の際に起きた暗黒現象に関するサラスの文書を引用している。
「とても恐ろしい暗黒が全世界を襲った。地震で岩が裂け、ユダヤ(パレスチナ南部)の多くの箇所と、その他の地域が激しく揺れた。サラスは、自身が書いた三番目の歴史書の中でこの暗黒現象を日食と呼んでいるが、私にはわけがわからない。」
(ユリアス・アフリカヌスの記録書、18:1より)
サラスの記録文書が見つかれば、イエスの十字架刑についてさらに詳しい確認が取れるはずだ。しかし上記の文書から次のような結論を出せる。イエスは存在していた。イエスは十字架刑に処せられ、その際に地震と暗黒現象が起きた。
タキトゥス(紀元56~120年)
コーネリウス・タキトゥスは、歴史文書の分析と研究で知られており、現在でも古代の歴史家の中で、もっとも信頼されている人物である。タキトゥスは、皇帝ウェスパシアヌス時代の州議員で、アジアの地方総督でもあった。タキトゥスは紀元116年の年代記の中で、皇帝ネロがローマの大火をクリスチャンのせいにしたことについて記している。
「その知らせに対する最終的な措置として、ネロは罪の意識にふたをし、自分たちが忌み嫌っていたクリスチャンと呼ばれる階層に対して、もっとも強烈な拷問を加えた。クリスチャンという呼び名はクリストス(キリストのこと)に由来しているが、このクリストスはタイベリアスの治世において、行政長官のひとりであるポンテオ・ピラトの手によって極刑に処せられた。そして非常に有害な迷信が、まずはじめにユダヤで広まり、世界中の至る所で物議を醸して有名になった。恐ろしくて恥ずべき様々な事柄が、ローマまでも巻き込んでいった。」
この文献の中でタキトゥスは、聖書に書かれている事柄が歴史的事実であることを、確かなものとしている。イエスが存在していたこと、ポンテオ・ピラトのもとで十字架刑に処せられたこと、イエスには従者たちがおり、キリストへの信仰のゆえに迫害されたことである。
(抄訳終わり)
このような調子で多くの文献が取り上げられており、最終的に次のような結論にまとめられています。
(抄訳終わり)
ヨハネ20:31
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