ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】「権威を侮る」とは? 2ペテロ2:10


 
 10節に関するワードスタディーです。
 
 
「権威を侮る」とは?
 
2ペテロ2:10 ~11
汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません2:11 それに比べると、御使いたちは、勢いにも力にもまさっているにもかかわらず、主の御前に彼らをそしって訴えることはしません
 
 
 
権威と訳されているのはキュリオテースという言葉で、
 
 次のような意味があります。

 
キュリオテース(語源:キュリオス=主)
①概念的な意味:主権(lordship
②具体的な意味:神の主権、天使的主権、支配、威光、通常は天的な階級制度
 
 
 
 10節~11節についてこう説明しています。
 
様々なユダヤ教の文献が、天の星を罵った者たちや、サタンや悪霊を呪った者たちについて述べている。ペテロの敵対者たちは、そういった風習を取り入れていたと推測される。恐らくこの風習は、「霊的な戦い」の一形態だろう。・・・しかしローマ帝国によるキリスト教徒への迫害や鎮圧の中で、にせ教師たちは、地上の権威者とその背後にいる天使的な権威を罵っていたP729
 
 
 
「栄誉ある人たち」とは?
 
栄誉ある人たち」と訳されているのはドクサという言葉で、
 
「評判、名声、栄光」という意味です。
 
 ペテロはドクサの複数形を使っています。
 
 
 イエスさまの弟ユダもにせ教師について書いた手紙の中で、
 
 ドクサの複数形を使っています。
 
 
それなのに、この人たちもまた同じように、夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者(キュリオテース単数形)を軽んじ、栄えある者(ドクサの複数形)をそしっています。
御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、「主があなたを戒めてくださるように。」と言いましたユダ1:8~9 
 
 
 新米標準訳(NASB)は、
 
「栄えある者たち」を「angelic majesties高位の天的存在」と訳しています。
 
 
Daring, self-willed, they do not tremble when they revile angelic majesties, 
                                ユダ8(NASB)
 
 こう訳した理由は、9節で天使のことが語られているためです。
 
 文脈を考慮すると、ユダが8節で論じているのはただの人間ではありません。
 
 ユダは、明らかに天的な要素を持たせています。
 
 天的要素を否定すると、9節との文脈的整合性が壊れてしまいます。
 

 また、ユダ8節で「権威ある者」と訳されているは、
 
 2ペテロの210で述べたキュリオテースです。
 
 キュリオテースには「天使的主権」という意味がりますので、
 
 2ペテロ210もユダ8も、高位の天使が暗示されていると考えるべきです。
 
 

まとめ
 
 2ペテロやユダの手紙の歴史的文化的背景として、
 
 ローマ帝国による迫害があったことも考慮すると、
 
 ペテロやユダが述べている「権威/権威ある者」「栄誉ある者たち/栄えある者」、
 
 つまりキュリオテースやドクサという言葉が意味しているものは、
 
 地上の権威者とその背後にいる天的存在、と解釈すべきだと思います。
 
 この見解は文脈的に整合性があるとともに、ユダヤ教文献の内容も損ないません。
 
 
1ペテロ2:13~15
人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです
 
 
 ペテロは上記のように指導していましたが、
 
 にせ教師たちは地上の主権者やその背後の天的主権を侮り、罵っていたのです。
 
 私たちはそうしないように、注意しましょう。
 
 
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