キリスト教進歩主義の稚拙な聖書理解 その2
1コリント15:22~28から、万人救済説を見出さないことは不可能だ。
It's impossible not to get universalism out of 1 Corinthians 15:22-28.
引用元:KFさんのFB
これを検証します。
●「キリストにあって」=「キリストを信じて」
1コリント15:22
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
KFさんは、聖書の読み方がてんでわかっていません。
確かに新改訳で読んだ場合は、「キリストによって」と訳されてしまっているので、誤解があっても仕方ありません。
しかし、KFさんは英語で読めるのですから、正しく理解できるはずです。
ESV
For as in Adam all die, so also in Christ shall all be made alive.
口語訳
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
原文には、英語訳や口語訳のように「キリスト(の中)にあって」と書かれています。
人間は誰でも、生まれたときは「アダムにあって/in Adam」生まれてきます。
しかし「キリスト(の中)にある/in Christ」というのは、
キリストを信じて救われ、霊的にキリストと一体になっている状態を意味します。
ですからパウロが「キリストにあって」という表現を使うとき、
それは「キリストを信じて」と同義語なのです。
なので、塚本訳はそのように意訳しています。
塚本訳
(一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。
●結論
そういうわけで、パウロは、万人救済説などほのめかしてもいません。
キリストの中にあるなら、すなわちキリストを信じているなら、すべての人が生かされると言っているのです。
終わり