ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

キリスト教進歩主義の稚拙な聖書理解 その2


 FB上でキリスト教進歩主義を流布しているKFさんが、次のような投稿をしました。
 
 
1コリント152228から、万人救済説を見出さないことは不可能だ。
 
It's impossible not to get universalism out of 1 Corinthians 15:22-28.
 
引用元:KFさんのFB
 
 
 これを検証します。
 
 
「キリストにあって」=「キリストを信じて」
 
1コリント15:22
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
 
 
 KFさんは、聖書の読み方がてんでわかっていません。
 
 確かに新改訳で読んだ場合は、「キリストによって」と訳されてしまっているので、誤解があっても仕方ありません。
 
 しかし、KFさんは英語で読めるのですから、正しく理解できるはずです。
 
 
ESV
For as in Adam all die, so also in Christ shall all be made alive.
 
口語訳
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
 
 
 原文には、英語訳や口語訳のように「キリスト(の中)にあって」と書かれています。
 
 人間は誰でも、生まれたときは「アダムにあって/in Adam」生まれてきます。
 
 しかし「キリスト(の中)にある/in Christ」というのは、

 キリストを信じて救われ、霊的にキリストと一体になっている状態を意味します。
 
 ですからパウロが「キリストにあって」という表現を使うとき、

 それは「キリストを信じて」と同義語なのです。
 
 なので、塚本訳はそのように意訳しています。
 
 
塚本訳
(一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。
 

結論
 
 そういうわけで、パウロは、万人救済説などほのめかしてもいません。
 
 キリストの中にあるなら、すなわちキリストを信じているなら、すべての人が生かされると言っているのです。


 終わり