ワンバース携挙論 イエス・キリスト編
一つの聖句(one verse)をきちんと解釈することで、患難前携挙説の真偽を確認します。
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マタイ28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
岩波翻訳委員会訳
私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである
それゆえ、英語の聖書では「age」と訳されています。
NIV
and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age.
それゆえイエスさまは、この時代が終わるまで、教会と共に宣教すると言っているわけです。
さらにイエスさまは、「すべての日々にわたり」と付け加えています。
岩波翻訳委員会訳は、原文に忠実に訳しています。
ギリシャ語テキストの該当部分は、次のような表現になっています。
πάσας τὰς ἡμέρας ἕως τῆς συντελείας τοῦ αἰῶνος
すべての 冠詞 日々(複数形)まで 冠詞 終わり 冠詞 時代
直訳:時代の終わりまで、すべての日々、(あながたがたと…)
このようにイエスさまは、この時代が終わるまで一日も欠かすことなく、教会と共に宣教すると言っておられるのです。
ところが患難前携挙説では、教会は世の終わりの7年前に地上から取り去られてしまいます。
つまり、時代の終わりまでに7年間のギャップが生じてしまうのです。
このように、患難前携挙説はイエスさまの言葉と食い違っています。
●確認1
上記の解釈が正しいことを、別の箇所を参考にして確認します。
マタイ13:29、30、39
だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。…
毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
これは毒麦の譬えの一部です。
イエスさまは、毒麦(不信者)と麦(クリスチャン)を「収穫=世の終わり」まで一緒にしておけと言っておられます。
ところが患難前携挙説は、クリスチャンだけ先に地上から取り去られると教えています。
患難前携挙説は、毒麦の譬えとも食い違っています。
●確認2
マタイ24:24:13~14
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
厳密に言うと、14節は「終わり」と書かれているだけで、「日」という言葉は新改訳聖書の意訳です。
前田訳はそのように訳しています。
マタイ24:13~14・前田訳
しかし終わりまで忍ぶ人こそ救われよう。
そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。
このように、イエスさまは、(時代の)終わりまで教会が地上に存在し、宣教しつづけると言っておられます。
これはマタイ28:20と一致しますが、患難前携挙説とは食い違います。
患難前携挙説では、14節を実行するのは144000人のユダヤ人伝道者です(中川健一氏)。
●あとがき
患難前携挙説は、オリーブ山の説教はユダヤ人に語られた言葉だと言います。
しかしマタイ24:1~2を見ると、オリーブ山の説教の聞き手は十二弟子で、
これは26:1に至るまで同じです。
十二弟子は全教会の代表ですが(マタイ16:18~19、同28:19)、ユダヤ人だけの代表ではありません。
教会は、世の終わりまで地上にとどまり、すべての国民に福音を宣べ伝える使命を受けているのです。
終わり