ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ワンバース携挙論 イエス・キリスト編

 
 一つの聖句(one verseをきちんと解釈することで、患難前携挙説の真偽を確認します。
 
 こんかい取り上げる聖句は、イエス・キリスト編の第一回目でマタイ28:20です。

                 *** 
 
マタイ28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます
 
岩波翻訳委員会訳
私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである
 
 
「世」と訳されているのはアイオンというギリシャ語で、原義は「時代」です。
 
 それゆえ、英語の聖書では「age」と訳されています。
 
 
NIV
and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age.
 
 
 それゆえイエスさまは、この時代が終わるまで、教会と共に宣教すると言っているわけです。
 
 さらにイエスさまは、「すべての日々にわたり」と付け加えています。
 
 岩波翻訳委員会訳は、原文に忠実に訳しています。
 
 ギリシャ語テキストの該当部分は、次のような表現になっています。

 
πάσας  τὰς   ἡμέρας  ἕως  τῆς  συντελείας  τοῦ  αἰῶνος
すべての 冠詞 日々(複数形)まで 冠詞   終わり  冠詞  時代
 
直訳:時代の終わりまで、すべての日々、(あながたがたと…)
 
 
 このようにイエスさまは、この時代が終わるまで一日も欠かすことなく、教会と共に宣教すると言っておられるのです。
 
 ところが患難前携挙説では、教会は世の終わりの7年前に地上から取り去られてしまいます。
 
 つまり、時代の終わりまでに7年間のギャップが生じてしまうのです。
 
 このように、患難前携挙説はイエスさまの言葉と食い違っています。
 
 
●確認1
 
 上記の解釈が正しいことを、別の箇所を参考にして確認します。
 
 
マタイ13:29、30、39
だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい
毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
 
 
 これは毒麦の譬えの一部です。
 
 イエスさまは、毒麦(不信者)と麦(クリスチャン)を「収穫=世の終わり」まで一緒にしておけと言っておられます。
 
 ところが患難前携挙説は、クリスチャンだけ先に地上から取り去られると教えています。
 
 患難前携挙説は、毒麦の譬えとも食い違っています。
 
 
●確認2
 
マタイ24:24:1314
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
 
 
 13節の「最後」と14節の「終わりの日」は、どちらもテロスという同じギリシャ語です。
 
 厳密に言うと、14節は「終わり」と書かれているだけで、「日」という言葉は新改訳聖書の意訳です。
 
 前田訳はそのように訳しています。
 
 
マタイ24:1314・前田訳
しかし終わりまで忍ぶ人こそ救われよう。
そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。
 
 
 このように、イエスさまは、(時代の)終わりまで教会が地上に存在し、宣教しつづけると言っておられます。
 
 これはマタイ28:20と一致しますが、患難前携挙説とは食い違います。

 患難前携挙説では、14節を実行するのは144000人のユダヤ人伝道者です(中川健一氏)。
 
 
●あとがき
 
 患難前携挙説は、オリーブ山の説教ユダヤ人に語られた言葉だと言います。
 
 しかしマタイ24:1~2を見ると、オリーブ山の説教の聞き手は十二弟子で、
 
 これは26:1に至るまで同じです。
 
 十二弟子は全教会の代表ですが(マタイ16:18~19、同28:19)、ユダヤ人だけの代表ではありません。
 
 教会は、世の終わりまで地上にとどまり、すべての国民に福音を宣べ伝える使命を受けているのです。
 
 終わり