ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「どもりがいやされる」-フィリピン山岳伝道の証し-その3

昼の伝道集会で多くの人が主を信じ、いやしを受け、主の栄光が現された。その晩、電気がないため、暗くなると何もできないこともあって、我々は夜のミーティングを終えると、宿舎で休んでいた。すると、なにやら高床式住居の階段を登ってくる足音がする。扉を開けると、通訳の兄弟と一緒に一人の青年が訪ねてきた。

彼はひどい吃音であった。兄弟に通訳してもらうと、彼は16歳になるこの村の青年で、イエスさまを愛しているのでイエスさまのことを人々に話したいが、吃音がひどくてどうにもならないので、いやしを祈ってほしいということだった。

我々は祈り始めた。
すると、非常に祈りが重い。止めてしまいたくなるくらい重い。明らかに敵からの霊的圧迫が来ていた。それでも、諦めずに祈りで押していくと、だんだん霊的に軽くなってきた。そしてもう祈りが聞かれているのでは、と思えるくらいに軽くなった。

私がリーダーのおか○牧師に、「ちょっと様子を聞いてみましょう」と言い、通訳の兄弟に話し始めたが、彼の通訳を待つことなく、私たちは主が青年をいやされたことがわかった。なぜかと言えば、数分前とは打って変わって、青年が流暢に語っていたからだ。

もちろん、現地語なので何を言っているかはチンプンカンプンだ。しかし明らかに吃音が取れている。主はいやされたのだ。青年の喜びが伝わってきた。

「イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。」 マタイ12:22

それまでいろいろな病のいやしを見てきたが、吃音がいやされたのは初めてだったし、ああも見事にいやされたので、私は嬉しさで興奮した。その興奮を味わいつつ、眠りに就いた。

翌日。
今日の午後には下界に戻ることになっていた。何やら人々がざわついている。それにヤギやら、子犬やら、鶏やら、いろりろな家畜が連れて来られている。これは何の騒ぎなのか?

フィリピン人の兄弟たちに聞いてみると、村人たちが我々へのお礼に家畜をプレゼントしたがっているというのだ。お金がないので、物を贈って感謝を表明したいという。このような体験は、初めてであった。嬉しいし、村人の好意を受け取りたいとは思うが、生きたヤギや鶏を持って帰るわけには・・・いかない。申し訳なかったが、通訳の兄弟たちに事情を説明してもらい、贈り物は受け取れないまま、村をあとにした。

フィリピンなどの南国の国々では、聖霊の働きが活発である。それだけが理由ではないが、そういった国々に行って宣教すると、聖書通りの神のわざが体験できる。日本でいやしを祈ってもなかなか起こらないが、それは聖書が嘘を言っているからではない。祈った人の信仰が弱いからでもない。単純に聖霊の働きが弱い。その一言に尽きる。

どこぞの教派の神学では、いやしは過去の出来事で、こんにちはもう起こらないと信じられているらしいが、そんなのは嘘っぱちである。信じられないという人は、フィリピンでもインドネシアでも行って、いやしや悪霊追い出しを祈ってみるといい。

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも同じである。

おわり

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