ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

神の永遠のみこころ

神の御心に関する再考-旧き課題の新しい捉え方-

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第1章 線路上で行き詰る

現代のキリスト教界において、とても人気のある教義にスポットライトをあててみようと思います。その教義によると、神はあなたの人生に、見事で事細かな計画を持っておられます。神はひとり一人のクリスチャンのために完璧なみこころを持っておられ、クリスチャンの決断はすべてそのみこころによって決まるというのです。

その完璧なみこころとは、列車が走る線路のようなものです。もし神のみこころに従い損ねたら、それこそ後戻りのできない大変な場所へ行ってしまいます。神のみこころを捉える方法は、聖書を読み、心に響いてくる語り掛けに注意をとめ、目に見える形で現れるしるしを捉えるというものです。

私は、この概念に関していくつかの点で反論しようと思います。

まず初めに、この教えには聖書的な根拠がありません。神がユニークで事細かで、前もって定められた計画をすべてのクリスチャンに対して持っているという考えは、聖書中には存在しません。

「神のみこころ」というフレーズは聖書全体で4つの異なる意味で使われています。それらは次の通りです。(聖書箇所については、「付録」をご覧ください。)


1 神の永遠のみこころ

これは、神のみこころの中核を占めるもので、神が非常に強い関心を持ち、神の計画を決定的なものにするみこころのことです。これは神の中心的な目的であり、神の究極的な意思です。これが神のあらゆる行動を決定します。パウロはこれを「永遠のご計画」と呼びました(エペソ3:11)。神は単一のみこころを持っておられ、そのみこころがご自身のあらゆる行動の根拠となっています。この「永遠のご計画」こそ、創造と購いの究極の目的です。宇宙の背後にそびえ立つもの。それがこの「永遠のご計画」です。

神はいくつもの時代が過ぎ行くあいだ、みこころを隠しておられました。神はこのみこころを奥義の中に包み込み、御子に託しました。全能者はそのみこころを御使いにも、その他のいかなる被造物にも示さず、ただ憐れみをもって待ち続けました。いくつもの時代が過ぎました。神は何を待っていたのでしょうか。それは、ある器が生れてくるのを待ち望んでいたのです。そしてその器に、ご自身の心の秘密を知り、その秘密と共に生きる特権をお与えになりました。その器とは教会です。あなたや私を含む教会を待ち望んでいたのです。

いくつもの時代を超えた奥義。神の永遠の計画。神の究極の計画。神のみこころに関する奥義。神はそれをこの時代の主の民に託すために、タルソのパウロに示しました。私たちクリスチャンに与えられた恵みと誉れは、何と大きいことでしょう。私たちは創造の奥義と、創造の背後に隠されていたみこころとを知り、その奥義とみこころの中で生きる特権を与えられているのです。(この永遠の計画に関する詳しい論説については、著書「Rethinking the Wineskin」第7章をご覧ください。)