ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

教会に賜物と召命を託すことに関する神の御心

4 教会に賜物と召命を託すことに関する神の御心

エス・キリストは教会のかしらとして、一つひとつの器官をみからだのどの部分に配置するかをお決めになります。主は、御心に従い、召命と賜物をみからだの諸器官に分配するのです。(ある人は手、ある人は足という具合に:汽灰蝪隠仮蓮法⊃徒はおのおの異なる器官なので、賜物と召命に関する御心もまた各個人によって異なっているのです。パウロがしばしば、「神のみこころによる使徒」と書いているのはそのためです。

すべてのクリスチャンが同じ賜物を持ち、同じ召命を持っているわけではありません。みからだの各器官は御心に従って、異なる賜物、異なる召命を与えられているのです。主はご自分のしもべに、働きに関する命令を与えることがよくあります。イエス使徒たち(パウロを含む)の生涯における御霊の導きの大部分は、奉仕に関するものでした。御霊の導きは、働きと関係していたのです。

以上の4つが、聖書中に見られる「神のみこころ」というフレーズの使われ方です。読者のみなさんは、ぜひそのフレーズが含まれている聖書箇所をご一読ください。各聖書箇所を文脈の中で読んでいただくなら、「神のみこころ」というフレーズが、ひとり一人の人生における、神の具体的な計画とは無関係であることに気付くはずです。言い換えると、神があなたの人生に事細かな計画を持っており、あなたが下すすべての意思決定もその計画の中に包まれている、という教えは、まったく聖書的根拠のないものだということです。


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