ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

一番大きな駐車スペース(前半)

●一番大きな駐車スペース

それでは、「どのようにして駐車スペースを選べばよいのか」という命題に戻ることにしましょう。そのための具体例として、結婚を取り上げます。

新約聖書には、結婚に関する素晴らしい教えがあります。新約聖書は、駐車場の境界線を示しています。と同時に、駐車スペースの選択についても語っています。

結婚に関しては、次の3つの質問が鍵になります。


・結婚をするかどうか。

・するとしたら、いつするか。

・誰とするか。


汽灰螢鵐硲珪呂如▲僖Ε蹐呂海量簑蠅砲弔い鴇椶靴述べています。その箇所における原則は、非倫理的な事柄の判断に応用することができます。この章において結婚を事例にする理由はそこにあります。時間のあるときに、ぜひ7章全体を読んでいただきたいと思いますが、今はとりあえず、いくつかの節だけを取り上げます。


「私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです。」汽灰螢鵐硲掘В掘腺


ここでパウロは、結婚をするしないについて述べています。この時、パウロは独身でした。一度結婚したことがある可能性がかなりあります。しかしコリント教会に手紙を書いた段階では、独身でした。パウロの判断によれば、クリスチャンは結婚するよりも独身ほうが良いのです(汽灰蝪掘В械押腺械気盪仮箸里海函法しかしその判断は、すべてのクリスチャンに当てはまるわけでありません。もし肉体的に自制を保てないなら、独身でいるよりも結婚したほうが良いのです(汽灰蝪掘В械兇盪仮箸里海函法

結婚するしないの選択は、どちらも神の御心の範囲内です。両方とも駐車場の敷地内です。結婚するか、しないかは、二つの異なる駐車スペースです。言い換えると、結婚するかしないかの判断は、クリスチャンひとり一人に任されているということです。これについては、後ほど更に論じます。


「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。処女のことについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信頼できる者として、意見を述べます。現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。たとい処女が結婚したからといって、罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです。」汽灰螢鵐硲掘В横粥腺横


この箇所はとても素晴らしいと思います。パウロは、神が自分に結婚に関する倫理的御心を啓示しなかったことを認めているからです。言い換えれば、これは駐車場の問題ではなく、駐車スペースの問題だということです。そしてパウロは、神が自分に、結婚に関する知恵を与えてくださったと述べているのです。

パウロがコリントに手紙を書いたのは、歴史的な問題が起きている最中でした。この時代に大規模な飢饉が起きていたことは、歴史が証明しています。繰り返しますが、いつ結婚するかの判断は個人個人に任せていますが、このような状況においては、クリスチャンは結婚せずに独身でいたほうが賢明だというのがパウロの意見です。けれどももし結婚すると決めたとしても、それは御心の範囲内ということです。判断は、各個人に委ねられているのです。


つづく


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