ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

一番大きな駐車スペース(続き)

それではこれから、駐車場の境界線について話を進めたいと思います。つまり、誰と結婚するかについてです。

「妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。」汽灰螢鵐硲掘В械

主が結婚に関して私たちに示している唯一の境界線は、結婚相手の霊的状態だけです。パウロは、教会内の未亡人は、「自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです」と述べています。前半の部分に注目してください。「自分の願う人と結婚する自由があります。」これが駐車スペースです。そして「主にあってのみ、そうなのです。」これが駐車場の境界線です。

クリスチャンは、相手がクリスチャンでありさえすれば、誰と結婚してもよいのです。(ただし同性愛については、聖書はそれを禁じています-汽灰蝪供В后)パウロは競灰螢鵐硲供В隠瓦如同じ内容を言い換えています。コリントのクリスチャンに「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」と勧めています。すべてのくびきの中で、結婚ほど重いくびきはありません。

結論を言うと、結婚に関しては、結婚するかしないか、いつ結婚するか、誰と結婚するか、これらはすべて、神の倫理的御心の範囲内にある駐車スペースだということです。そして駐車場の境界線は、クリスチャン同士で結婚することが御心であるということです。

それでは、最善の駐車スペースを選ぶための基準は何でしょうか。

つづく

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