ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

にせ預言者?

ブログやホームページで、世界的に用いられているクリスチャン奉仕者を、にせ預言者呼ばわりして批判している方々がいらっしゃいます。それらの方々の文章を読みますと、有名なクリスチャンが語った間違い預言や奇異な行動を取り上げて、それゆえにその奉仕者はにせ預言者だと主張しています。

確かにとんでもない内容の預言を語ったり、しるしと不思議が強調されていたりしますが、だからと言って、その奉仕者は本当ににせ預言者なのでしょうか?

このことについて、ご一緒に考察してみたいと思います。


●「にせ預言者」=未信者
マタイ7章を見ますと、イエスご自身が「にせ預言者」について述べています。その教えの中でイエスは、にせ預言者の理解を助けるいくつかの言葉を使っています。


・「羊のなりをしている」「うちは・・・狼」(15節)

・「良い木」「悪い木」(17~18節)

・「わたしは・・・全然知らない」(23節)


羊と狼、良い木と悪い木の対比からわかることは、真の預言者と「にせ預言者」とでは見た目は似ていても、内的な質が違う、あるいは種類が違うということではないでしょうか。

さらに「にせ預言者」たちに向かって「わたしはあなたがたを全然知らない」とイエスは宣告します。

クリスチャンは神にあってイエスの家族であり、兄弟姉妹です。またイエスは羊飼いであり、クリスチャンは彼の羊です。ですから「全然知らない」ということは、家族の一員ではない、主の羊でもないということを意味しているのではないでしょうか。

だとすると、マタイ7章の文脈からわかることは、「にせ預言者」はクリスチャンのふりをしていても、実はクリスチャンではないということになります。彼らは救われていないという結論になります。救われていないのであれば、イエスとは何の関係もありません。イエスが彼らを「全然知らない」のは、そのためではないでしょうか。


●実例
聖書の中に、「にせ預言者」の実例が出てきます。バルイエスです(使徒13:6)。


・バルイエスは魔術師で、エルマ(魔術師という意味)という別名も持っていました。

キプロスの地方総督が神の言葉に関心を持っているにもかかわらず、バルイエスは総督が信仰に入ることを妨害します。

パウロはこのバルイエスのことを、「偽りとよこしまに満ちた者」「悪魔の子」「正義の敵」などと呼んでいます。

これらから、バルイエスが未信者であったことは明らかです。


●「にせ預言者」の正しい定義
このように、聖書の言う「にせ預言者」とはクリスチャンではなく、未信者であることが前提です。間違い預言をしたから「にせ預言者」なのではありません。教えの一部が間違っているから「にせ預言者」なのでもありません。奇異な行為をするから「にせ預言者」なのでもありません。未信者なのに、主の名によって預言したり、悪霊追い出しをしたり、奇跡を行うのが「にせ預言者」なのです(マタイ7:22)。


●批判者の過ち
逆に言うと、大きく主に用いられているクリスチャンを「にせ預言者」呼ばわりするなら、その批判をした人は、そのクリスチャンを通して働いている聖霊の働きを否定することにならないでしょうか。批判することによって、その奉仕者を通してなされている神の働きを妨害することになってしまわないでしょうか。

だとすると、間違いを指摘することは問題ありませんが、クリスチャンである奉仕者を「にせ預言者」呼ばわりすることは問題になります。「彼は救われていない」「彼を通して起きたわざは、どれも神のものではない」というメッセージを発信していることになるからです。


●実際
「にせ預言者」呼ばわりされているクリスチャン奉仕者の著書を読んだり、講演を聴いてみると、その人が聖書に基づいて執筆しており、妥当な内容を講演していることがほとんどです。

批判している人たちは、奉仕者が犯したいくつかの間違いだけを取り上げて、彼らを「にせ預言者」呼ばわりしますが、それこそ大きな間違いではないでしょうか。



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