ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

相互に働くキリスト

ディボーション日記




2Co 13:3

こう言うのは、あなたがたはキリストが私によって語っておられるという証拠を求めているからです。




2Co 13:5

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。

それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。




これらの箇所から思わされたことは、


キリストは、教会の指導者のうちにもおられ、信徒のうちにもおられるということです。




その内住のキリストは、


指導者を通して語ることもあれば、


信徒を通して語ることもあるということです。




キリストが内住しておられる以上、


霊的権威も、


指導者を通して働くこともあれば、信徒を通して働くこともあるということです。




どちらか一方だけに働くのではなく、


どちらを通しても働く、


クリスチャンなら誰を通してもキリストは語るし、働くということです。




だからこそ、次のような言葉が聖書の中にはたくさんあるのではないでしょうか。




Eph 5:21

≪互いに従いなさい≫。




Rom 15:7

あなたがたも≪互いに受け入れなさい≫。




Rom 15:14

あなたがた自身が・・・≪互いに訓戒し合うことができる≫ことを、この私は確信しています。




1Th 5:11

あなたがたは、≪互いに徳を高め合いなさい≫。

注:「徳を高める」=「建て上げる」「啓発する」という意味。





Mat 23:8

あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。

あなたがたの教師はただひとりしかなく、≪あなたがたはみな兄弟≫だからです。






教師はただひとりしかなく、


その教師(キリスト)が、ひとり一人のクリスチャンのうちにおられるのです。





もしどこかの教会で、一方通行の権威の流れしかないとしたら、



もし建て上げが一方方向からしか行われていないとしたら、



その教会は聖書通りとは言えないのではないでしょうか。






牧師は説教し、信徒は献金をして牧師を支えるだけ。



それが教会というもの。



もしそんな概念が実行されているとしたら、



それは聖書的な教会と言えるでしょうか。