ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

1世紀のクリスチャンたちの意識

ディボーション日記





1Th 1:10

また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、

すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエス

天から来られるのを待ち望むようになったか、

それらのことは他の人々が言い広めているのです。





上記の御言葉を読んだとき思わされたことを書きたいと思います。




テサロニケの教会の兄弟姉妹たちは、「イエスを待ち望んでいた」ということです。


「艱難期が来る」とおびえていたのではありません。


反キリストの台頭を恐れていたのでもありません。





彼らがイエスの再臨を待ち望んでいたのは、今から2000年近く前のことですが、



その時点ですでに、



「いつイエスが携挙のために空中再臨してもおかしくない」と彼らは思っていたということです。





これはこんにちのキリスト教界と少し違うと思います。


たとえば、私が以前所属していた団体では、携挙に預かれるのは忠実なクリスチャンだけでした。


救われていても、不忠実なクリスチャンは、大艱難期を通らなければならないと教えられていました。





また、教団によっては、携挙は大艱難期の最後だと考えています。


もしその考えが正しいとすると、テサロニケのクリスチャンたちは、大間違いをしていたことになってしまいます。





いえ、彼らだけではありません。


彼らにそう教えていたパウロも同様です。






みなさんは、どう考えますか?





私たちも、テサロニケのクリスチャンやパウロを見習う必要があるかもしれません。