昼の者
ディボーション日記
1Th 5:8
私たちは昼の者なので・・・
1Th 5:10
主が私たちのために死んでくださったのは、
私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
汽謄汽蹈縫韻鯑匹鵑任い泙后
5:8の「昼の者」というフレーズがインパクトをもって心に飛び込んできました。
未信者とは「大きな違いがある」ということが、霊的に伝わってきた感じでした。
クリスチャンは「昼の子ども」であり「昼の者」です(5節、8節)。
一方、主イエスを信じていない人々には、「夜や暗やみの者」という表現が使われています(5節)。
同じように地上で暮らしているのですが、
クリスチャンとノンクリスチャンの間には大きな隔たり、
決定的な違い、相容れない性質があるということです。
文脈上、この違いは、
「主の日」つまり「携挙」に関する扱われ方の違いであることは間違いありません。
出エジプトの際の、イスラエル人とエジプト人の違いと同じようなものだと思います。
この違いは、「その日」が盗人のようにして来るか、そうでないかにも現れます。
クリスチャンにとっては、「その日」は恐ろしい日ではありません。
何かを失う日ではないのです(4節)。
「眠っていても、主とともに生きる」ことができる、というところが恵みですね。
目を覚まして待ち望むことに失敗しても大丈夫なのです(10節)!
これは、十字架で「主が私たちのために死んでくださった」ことによります。
十字架を信じていれば、盗人に襲われるようなことにはならないのです。
1Th 5:9
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、
主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
アーメン
1Th 5:8
私たちは昼の者なので・・・
1Th 5:10
主が私たちのために死んでくださったのは、
私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
汽謄汽蹈縫韻鯑匹鵑任い泙后
5:8の「昼の者」というフレーズがインパクトをもって心に飛び込んできました。
未信者とは「大きな違いがある」ということが、霊的に伝わってきた感じでした。
クリスチャンは「昼の子ども」であり「昼の者」です(5節、8節)。
一方、主イエスを信じていない人々には、「夜や暗やみの者」という表現が使われています(5節)。
同じように地上で暮らしているのですが、
クリスチャンとノンクリスチャンの間には大きな隔たり、
決定的な違い、相容れない性質があるということです。
文脈上、この違いは、
「主の日」つまり「携挙」に関する扱われ方の違いであることは間違いありません。
出エジプトの際の、イスラエル人とエジプト人の違いと同じようなものだと思います。
この違いは、「その日」が盗人のようにして来るか、そうでないかにも現れます。
クリスチャンにとっては、「その日」は恐ろしい日ではありません。
何かを失う日ではないのです(4節)。
「眠っていても、主とともに生きる」ことができる、というところが恵みですね。
目を覚まして待ち望むことに失敗しても大丈夫なのです(10節)!
これは、十字架で「主が私たちのために死んでくださった」ことによります。
十字架を信じていれば、盗人に襲われるようなことにはならないのです。
1Th 5:9
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、
主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
アーメン