ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

難解な聖書箇所

ディボーション日記






1Ti 1:5

「この命令は・・・愛を目標としています。」






最近、以下の箇所の解釈や適用をどうしたらよいのかで悩み、祈っていました。





1Co 11:5

女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。



1Co 14:34

教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。



1Ti 2:12

私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。








私たちの教会の集会で、女性たちはかぶり物を付けるべきなのか、



女性たちは集会中、黙っていなければならないのかどうかを、



主に尋ねてきました。







きのう、汽謄皀藤云呂ディボーションの箇所でした。



5節を読んだとき、神様から祈りの答えを語られたような気がしたのです。









私がディボーション用に使っているバージョンでは、5節の最初の部分は、



「私たちの指導の目的は愛です」となっています(新米標準訳)。



このフレーズが思いに入ったとき、強いインパクトを覚えました。







パウロがあのように書いた目的は、



女性たち、そして教会全体への「愛」のゆえだった



と神は語ってくださっているように思えました。








創造の秩序は信じていますし、今日でもその秩序が変わらないことも承知しています。



また、上に挙げた箇所は普遍的解釈をすべきであって、



あの時代のコリントやエペソの文化的、社会的背景として限定すべきではないと思っています。








だからと言って、私たちの集会において、



姉妹たちの発言、姉妹たちの祈り、姉妹たちの預言は決して害になっておらず、



むしろ神は、彼女たちを通して語っておられるのに、



なぜ黙らせなければならないのだろうかと・・・。









姉妹たち自身も、自由に語れることを喜びとしているのに、



それを取り上げなければならないのだろうかと・・・。








神は、愛が適用のポイントであると教えてくださったように思いました。



上記の御言葉を字義通りに適用するかどうかは、



愛がその判断基準になると。









みなさんのご意見もおしえてください。



みなさんは、あるいは、みなさんの教会では、



どう考えておられますか?