ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ハイライト その4

解釈の鍵となる原則

14:34と11:5の間にある明確な矛盾を解決ことは困難です。この点で、上記の4つの解決方法のうち、どれ一つとして満足なものはありません。それでは、私たちは行き詰ってしまったのでしょうか。この箇所は、理解不能なのでしょうか。このセクションでは、鍵となる4つの原則を提示し、それによって難解な箇所を理解し、上記の解決方法を論評していきます。

まず初めに、汽灰螢鵐硲隠云呂如▲僖Ε蹐女性に祈りや預言をする権限を与えていないとする解釈は、どれも誤りです。パウロの言葉の中には否認のかけらすらないことを認めなければなりません。というのは、パウロは11章を書き始めるに当たり、コリント教会のクリスチャンたちをほめているからです。パウロのこの賞賛は、かぶり物の使用に関してで、コリント教会の行為を是認していることの証拠です。

加えて、汽灰螢鵐硲隠院В隠阿、解釈の鍵を与えてくれています。この節は2つの理由で難解です。1)御使いに関する意味合いが曖昧です。2)「権威」、あるいは「権威のしるし」という訳が、混乱を招いています。特に、2)が重要です。なぜなら10節は、7節と対照になっているからです。7節によると、「男はかぶり物を着けるべきではありません。」10節は、同じ単語を使用して、「女は頭に権威(のしるし)を着けるべきではありません」と言っています(英訳)。明らかに、これらの箇所は、男性は祈りや預言をするときにかぶり物をすべきではなく、逆に女性はかぶり物をすべきだと述べています。パウロは、男性に関して言うときは「かぶり物」という単語を使っていますが、女性に関して言うときは「権威」という単語を使っているのです。

問題となるフレーズは、「権威を持つ」です。多くの人はこの部分を、受身的な意味に解釈しています。つまり、かぶり物をつけているときは、女性は夫の権威のしるしをつけていると解釈しているのです。「権威(のしるし)を持つ」(英訳)を、かぶり物によって、女性は夫に敬意を表明しているという意味で捉えています。ところが、「権威」という言葉がそういうことを意味することはあり得ません。実はこの箇所は、積極的な意味を持っています。権威を持っているのは、女性なのです。「権威」という単語は、新約聖書の他の箇所では、人間関係を表すために使われている言葉です。この箇所の意味を理解するには、汽灰螢鵐箸梁召硫媾蠅鮓る必要があります。この「権威を持つ」というフレーズは、他の箇所ではすべて、個人が特権を行使するときの「権利」という意味で使われているのです。例えば、「いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか」(汽灰螢鵐硲后В粥腺機砲任后汽灰螢鵐硲后В院腺隠欧隆屬法同じフレーズが5回使われています。このフレーズは、使徒たちの権利について述べています。同様にして、同じフレーズが汽灰螢鵐硲隠院В隠阿任盪箸錣譴討り、かぶり物をつけている女性は、集会の中で祈ったり預言する権利を持っているという意味で使われているのです。

そういうわけで、汽灰螢鵐硲隠院В押腺隠兇砲いて女性が祈りや預言をする権利を否定する解釈は、どれも誤りです。ですので、解決方法3の考え方も誤りです。パウロは11章で、女性の活動をはっきりと是認しているのです。これにより、解決方法3および解決方法4は、考察の必要がなくなりました。

(中略)

第四に、汽灰螢鵐硲隠云呂乃?弔気譴討い襪海箸髻↓汽灰螢鵐硲隠款呂任篭悗犬討い覯鮗瓩蓮△匹譴盡蹐蠅任后パウロがそのような短い文章の中において、そのような重大な問題に関して、自論を覆すような矛盾を犯すと考えるのは筋が通っていません。解釈6がもっとも筋が通っていると思われますが、11章と14章の間で、パウロの論理に矛盾をきたす解釈は否定されるべきです。11章でパウロが許可していることが、14章では禁止されているかのように思えるかもしれません。しかしもし女性が声を出して祈り預言することをパウロが許可していることがはっきりしているなら、14章でパウロが禁じていることは一体、何でしょう。困難は残るものの、聖句の意味が、解釈7と一致すると考えることが最善と思われます。

結論

パウロは、男女混合の公の集会において、女性に、祈りや預言をする権限を与えています。汽灰螢鵐硲隠院В押腺隠兇硲隠院В隠掘腺械瓦脇韻原飢颪亡悗垢覽掴世任垢ら、パウロが男性にも女性にも、祈りや預言をすることを肯定していることは明白です。

パウロは男女混合の集会で、女性が教えの役割を果たすことを禁じています。パウロは確かに、汽灰螢鵐硲隠粥В械粥腺械気砲いて、重大な禁止事項を示しているのです。それは、すべての教会における普遍的な規則とすべきものです。その教えは、旧約聖書で語られている、従順の原則に土台を置いています。パウロによる禁止事項は、預言の吟味あるいは、評価に関してであると受け取ることが最善と思われます。女性は男女混合の公の集会において、教えの役割を務めるべきではありません。