ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「集会における女性たち」の参考文献(その2)

中略


以下のガイドラインは、いわゆる霊的に灰色の領域に属する行為を査定するのに役立ちます。このガイドラインは、教会における女性の活動に関する疑問にも適用できるよう組み立てられています。ガイドラインのあとには、事例が記されています。各ガイドラインは、誤用を極力さけられるよう、基本的な自己評価ができるよう、2通りに組み立てられています。最初に禁止事項、次に許容事項が記されています。


1.聖書の教え

a.禁止事項:聖書はその活動の禁止を明言しているのでは?

b.許容事項:聖書はその活動の許容を明言しているのでは?


2.現実と定義

a.禁止事項:その活動は、実質的に聖書的な基準あるいは、聖書的な動機を覆しているにもかかわらず、定義づけの問題によって批評を逃れているのでは?


b.許容事項:その活動は、明確な聖書的目的を果たしているにもかかわらず、人間による定義づけの問題によって妨げられているのでは?


3.認識

a.禁止事項:その活動は、誤解されやすい、あるいは、混乱やつまずきを起こすと認識されているのでは?

b.許容事項:その活動は、誤解されたり、つまずきにならないよう十分に説明することが可能なのでは?

c.事例:重要な点を説明する4つの事例に対するガイドラインの適用について考察します。


事例1

状況:あるカリスマ派教会は、日曜礼拝の一部を預言のために割いています。男性も女性も預言します。一人が預言し終わると、会衆はその預言にあるメッセージを確認します。長老たちが預言のメッセージの妥当性について吟味を行います。


疑問:女性が預言の実践に加わってもよいのでしょうか。


ガイドライン

1.聖書の教え

この最初の事例は、聖書的です。パウロは汽灰螢鵐硲隠粥В械械癲腺械気乃媽眦にこの質問答えています。


2.現実と定義

汽灰螢鵐硲隠款呂僚?たちが、具体的に何をしていたのかは定かではありません。もし彼女たちが預言の吟味をしていたのであれば、彼女たちは男性に対して権威を振るってしまったのです。彼女たちは実質的に聖書の基準を覆しました。禁止事項のガイドライン、1aと2aが明確に適用されます。もしその女性たちが公式には吟味をしなかったけれども、声に出して何かを尋ねたり、コメントすることによって、事実上、吟味していたのであれば(私は、コリントのクリスチャンたちが騒々しくパウロを裁いたとき、実際に、そのようなことが起こっていたのだろうと判断しています。汽灰蝪粥В隠技仮函法△燭箸╂擬阿雰舛任話棒に対して権威を振るっていなくても、彼女たちは実質的に聖書の基準を覆したのだと結論付けます。やはり、禁止事項2aが適用されます。


3.認識

パウロは、女性に、質問は預言の吟味の場ではなく、自分の家でするよう指導しました。パウロは女性たちの学ぶ権利を守り、女性が男性を裁いてしまうことを避けさせたかったのだと推測します。実質的にパウロは、禁止事項3aを適用したのです。

汽灰螢鵐硲絃呂硲隠鮎蓮△泙織蹇璽泯隠款呂如▲僖Ε蹐これと同じような議論を、偶像に捧げられた肉の件を取り扱う中でしているのに気がつきます。これらの箇所でパウロは、あるクリスチャンたちが特定の食べ物事で不必要に良心を痛めていることを彼らに教えようとしていました。パウロは、食べることによって良心を痛めてしまう(心の)弱い兄弟たちを誘惑から守るために、(心が)強く、良心の不要な呵責を感じない兄弟たちに、肉を食べないように頼みました。もしパウロの訓戒的な議論が功を奏して、弱い兄弟たちに良心の呵責は不要であると教えることができたのなら、強い兄弟たちは肉を避けずに済んだでしょう。

この件は、教女性や長老に召されていない男性たちに適している霊的活動が何であるかについて、私たちの考えを変えてくれるかもしれません。慣習によって、長老がしなければならないとされていることを、無理に長老がしなくても済むようになるかもしれないのです。(中略)

たとえば、ある教会では、礼拝において、聖書朗読を担当するのは、何が何でも長老でなければならないとされています。しかしその指導者も会衆もその必要がないと判断できれば、誰でも礼拝で聖書朗読をすることができます。禁止事項3aから、許容事項3bに、状況を移行できるわけです。


つづく