ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「集会における女性たち」の参考文献(その3)

事例2

状況:有名で十分に訓練を受けた、あるクリスチャン女性が、ある地域教会から、教会における女性の役割について講演してほしいと依頼されました。彼女が教えをすることは、長老たちにもよく知られており、認められています。彼女はその講演のために、日曜礼拝で30分の時間を与えられました。彼女の奉仕のあと、牧師が短く説教することになっています。


疑問:彼女は、このような形で教えをしてもよいのでしょうか。



ガイドライン


1.聖書の教え

聖書がこのような行為を禁じているとはっきり判断するかどうかは、ある意味、女性は「教えたり男を支配したりすること」ができないというパウロの言葉(汽謄皀藤押В隠押砲髻∋笋燭舛どう判断するかにかかっていると言えます。私の判断としては、この事例は境界線上のものでもなく、禁止すべきことでもありません。ある方々は納得できなしかねるかもしれませんし、ガイドライン1aを適用するかもしれませんが。


2.現実と定義

私の見解では、この事例は、女性が長老の役割を務めることには相当しません。彼女が上記のような形で教えをすることは、長老たちによる承認の範囲内であり、長老の権威を侵害するものではありません。彼女は自分の教えを教訓として会衆に強要するつもりはありませんし、自分の奉仕が、正しい教義を群れに教えるという長老の役割とは、別のものであると認識しているからです。彼女が礼拝の中でこのような奉仕をすることは、万人祭司の範囲内の行為です。それゆえ私は、ガイドライン2aを適用しません。ある方々は、反対だとは思いますが。

パウロは、女性はまったく教えをしてはならないとは言いませんでした。(汽灰螢鵐硲隠粥В横兇如◆砲垢戮討凌者が短い教えを分かち合えることをすでに確認しました。パウロが女性に禁じている教えとは、教会の信仰形成に関わる、継続的で権威の伴う教えに関してです。30分間話すことは、これには相当しません。会衆の中で語ることは、誰にでも許されていることです。

会衆に向かって何かを語ることは、ある種の教えである。ゆえにそうすることを許されるのは長老だけだ、という立場に立って、この女性の説教に反論する人が群れの中にいるとしましょう。長老以外は、教会の集会で公に語るべきではないと。

すでに述べたように、このような考えは、汽灰螢鵐硲隠院В気筍隠粥В横兇般圭發垢襪燭瓠誤っているのです。これは、ガイドライン2bで指摘されている「人間による定義づけの問題によって妨げられている」行為の良き実例と言えます。女性が話すことに対して他にも反論はあるかと思いますが、少なくともこの反論は妥当ではありません。ただし、ガイドライン3の、人々がどう認識するかという点においては、論議が起こるでしょう。


3.認識

いくつかの教会では、女性が長く話すことは、長老の役割に当たると判断されると思います(ガイドライン3aの適用)。その場合は、会衆に対して十分な事前準備がなされない限り、その女性は語るべきではありません。事前準備がなされるなら、ガイドライン3bを適用できることになります。そのような事前準備は必ずしも全会一致である必要はありませんが、会衆に対する教育が求められますし、愛と誠実をもって会衆とともに聖書を学ぶことによって、彼らを説得する努力が求められるでしょう。ゲストスピーカーを迎えて説教を聞くことに慣れていて、この女性による説教を長老の役割と区別できる教会においては、外部からその集会に参加する人のことだけ配慮する必要があるでしょう。


つづく