使徒と預言者は教会の土台か?(前半)
使徒と預言者は教会の土台か?
Eph 2:20
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
こんにち、ある方々は、上記の聖句に基づき、使徒と預言者という働き人たちが教会の土台になっているので、彼らがいなければ聖書的な地域教会は建たないと考えているようです。
私は、イエス・キリストがトップにいて、その下に五役者がいて、五役者の下に地域教会が置かれているというピラミッド型の階層組織が聖書的な教会構造であると以前は信じていましたし、そのように教えていました。
確かに新改訳聖書を見ると、そうとしか読み取れないような意訳がすでにされています。またこんにちでも、使徒や預言者が教会の開拓やその後の教会形成に用いられることはありますから、上記の聖句をそのように解釈する所以が十分あることはよくわかります。
しかしこの考えには、いくつかの問題が内包されています。
●問題1:ローマ教会やアンテオケ教会は土台なし教会か
もしエペソ2:20が、使徒と預言者という人間が教会の土台であると言っているとすると、各時代、各地域において教会が建てられるに当たり、その時にその地域に存在する新しい使徒や新しい預言者が存在しなければなりません。彼らがいなければ、教会の土台がなくなってしまい、土台のない教会が建つことになるのです。
もしそうだとすると、使徒なしで、信徒のみによって形成されたローマ教会やアンテオケ教会はどうなるのかという話になります。ローマ教会はりっぱな信仰を持っていたようで、彼らの信仰は全世界に言い伝えられていました(ローマ1:8)。また、アンテオケ教会は史上はじめて信者がキリスト者と呼ばれるようになった教会であり、メンバーであったバルナバとサウロが使徒として派遣された教会です。
●問題2:異端と同じ解釈でいいのか
真の教会を建てるには、こんにちも使徒と預言者が必要だという解釈を、モルモン教もしているそうです。以下に参考サイトURLと、そこからの抜粋を挙げます。
Specifically, Mormonism claims that "the church is built on the foundation of the apostles and prophets" means apostles and prophets must be living on earth in order for the true church to exist; so any church which does not have living apostles on earth cannot be the true church. While it is true that the work of the apostles pertained to the founding or beginning of the church, yet Jesus is the chief cornerstone. Must Jesus be living on earth in order for the church to exist? Obviously not.
The Gospel Way より抜粋。
http://www.gospelway.com/topics/church/foundation-jesus-apostles.php
訳
「あなたがた(教会)は使徒と預言者たちの土台の上に建てられており」については、特にモルモン教が、真の教会が存在するために使徒と預言者が地上に生きていなければならないという意味だと主張しており、生きている使徒や預言者がいない教会は、どの教会も真の教会であり得ないと主張しています。教会の開拓に携わることは、確かに使徒の働きです。しかしイエスが礎石なのです。(真の)教会が存在するために、イエスも地上で生きていなければならないのでしょうか。もちろん、その必要はありません。
------------------------------------------------------
モルモン教の聖書解釈がすべて間違っているというわけではないかもしれませんが、もし私たちが異端と同じ考えを持っているなら、それが正しいかどうか吟味すべきであることは間違いないと思います。
●問題3:第一世代の使徒と後世の使徒の違い
第一世代の使徒たちは聖書の執筆者となり、彼らの教えや指導は新約聖書になったわけですから、彼らが受けた啓示や彼らによる霊的指導には誤りがなかったと考えられます。しかし、彼ら以降の使徒や預言者についてはそうでありません。新しい使徒や預言者たちが受ける霊的示し、彼らによる聖書解釈、彼らから出る判断や指導には誤りが許されます。すると、その間違いを含んだ教えや指導の上に教会が建てられることになるのです。
この誤りとそっくりの誤りを、ローマ・カトリック教会が犯しました。マタイ16:18の解釈です。カトリック教会は、「ペテロの上に教会が立つ」と解釈しました。その結果、ペテロの後継者であるローマ教皇は特別な存在になりました。教皇のみが正しい聖書解釈をすることができる、教皇の決定や指導は正しく誤りがない、教皇の言葉は聖書と同等である、ということになりました。まさにカトリック教会は、「使徒の後継者」を土台として建てられた教会なのです。
ペテロは第一世代の使徒ですから、彼の言葉を信じることは良いのですが、問題は教皇をその後継者とし、歴代の教皇を信仰の土台としてしまったことです。もし私たちが新しい使徒、新しい預言者を土台として教会を建てるなら、カトリック教会と同じ轍を踏むことになるでしょう。たとえその新しい使徒や預言者たちが、どんなに立派なクリスチャンであっても、です。
つづく
Eph 2:20
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
こんにち、ある方々は、上記の聖句に基づき、使徒と預言者という働き人たちが教会の土台になっているので、彼らがいなければ聖書的な地域教会は建たないと考えているようです。
私は、イエス・キリストがトップにいて、その下に五役者がいて、五役者の下に地域教会が置かれているというピラミッド型の階層組織が聖書的な教会構造であると以前は信じていましたし、そのように教えていました。
確かに新改訳聖書を見ると、そうとしか読み取れないような意訳がすでにされています。またこんにちでも、使徒や預言者が教会の開拓やその後の教会形成に用いられることはありますから、上記の聖句をそのように解釈する所以が十分あることはよくわかります。
しかしこの考えには、いくつかの問題が内包されています。
●問題1:ローマ教会やアンテオケ教会は土台なし教会か
もしエペソ2:20が、使徒と預言者という人間が教会の土台であると言っているとすると、各時代、各地域において教会が建てられるに当たり、その時にその地域に存在する新しい使徒や新しい預言者が存在しなければなりません。彼らがいなければ、教会の土台がなくなってしまい、土台のない教会が建つことになるのです。
もしそうだとすると、使徒なしで、信徒のみによって形成されたローマ教会やアンテオケ教会はどうなるのかという話になります。ローマ教会はりっぱな信仰を持っていたようで、彼らの信仰は全世界に言い伝えられていました(ローマ1:8)。また、アンテオケ教会は史上はじめて信者がキリスト者と呼ばれるようになった教会であり、メンバーであったバルナバとサウロが使徒として派遣された教会です。
●問題2:異端と同じ解釈でいいのか
真の教会を建てるには、こんにちも使徒と預言者が必要だという解釈を、モルモン教もしているそうです。以下に参考サイトURLと、そこからの抜粋を挙げます。
Specifically, Mormonism claims that "the church is built on the foundation of the apostles and prophets" means apostles and prophets must be living on earth in order for the true church to exist; so any church which does not have living apostles on earth cannot be the true church. While it is true that the work of the apostles pertained to the founding or beginning of the church, yet Jesus is the chief cornerstone. Must Jesus be living on earth in order for the church to exist? Obviously not.
The Gospel Way より抜粋。
http://www.gospelway.com/topics/church/foundation-jesus-apostles.php
訳
「あなたがた(教会)は使徒と預言者たちの土台の上に建てられており」については、特にモルモン教が、真の教会が存在するために使徒と預言者が地上に生きていなければならないという意味だと主張しており、生きている使徒や預言者がいない教会は、どの教会も真の教会であり得ないと主張しています。教会の開拓に携わることは、確かに使徒の働きです。しかしイエスが礎石なのです。(真の)教会が存在するために、イエスも地上で生きていなければならないのでしょうか。もちろん、その必要はありません。
------------------------------------------------------
モルモン教の聖書解釈がすべて間違っているというわけではないかもしれませんが、もし私たちが異端と同じ考えを持っているなら、それが正しいかどうか吟味すべきであることは間違いないと思います。
●問題3:第一世代の使徒と後世の使徒の違い
第一世代の使徒たちは聖書の執筆者となり、彼らの教えや指導は新約聖書になったわけですから、彼らが受けた啓示や彼らによる霊的指導には誤りがなかったと考えられます。しかし、彼ら以降の使徒や預言者についてはそうでありません。新しい使徒や預言者たちが受ける霊的示し、彼らによる聖書解釈、彼らから出る判断や指導には誤りが許されます。すると、その間違いを含んだ教えや指導の上に教会が建てられることになるのです。
この誤りとそっくりの誤りを、ローマ・カトリック教会が犯しました。マタイ16:18の解釈です。カトリック教会は、「ペテロの上に教会が立つ」と解釈しました。その結果、ペテロの後継者であるローマ教皇は特別な存在になりました。教皇のみが正しい聖書解釈をすることができる、教皇の決定や指導は正しく誤りがない、教皇の言葉は聖書と同等である、ということになりました。まさにカトリック教会は、「使徒の後継者」を土台として建てられた教会なのです。
ペテロは第一世代の使徒ですから、彼の言葉を信じることは良いのですが、問題は教皇をその後継者とし、歴代の教皇を信仰の土台としてしまったことです。もし私たちが新しい使徒、新しい預言者を土台として教会を建てるなら、カトリック教会と同じ轍を踏むことになるでしょう。たとえその新しい使徒や預言者たちが、どんなに立派なクリスチャンであっても、です。
つづく