使徒・預言者はこんにち存在しないのか?(前半)
使徒・預言者はこんにち存在しないのか?
Eph 4:11
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
ある方々は、こんにち使徒や預言者は存在しないと論じておられます。その方々が根拠にしている聖句として、エペソ2:20、同3:5、汽灰螢鵐硲后В院同15:8、9などがあります。
これらの箇所を見ながら、聖書が使徒や預言者がこんにち存在しないと本当に語っているかどうかを考えたいと思います。
●エペソ2:20と3:5
使徒・預言者がこんにち存在しないと考える方々は、この二つの聖句により、新約聖書時代の使徒・預言者を通して真理がすべて啓示され、新約聖書が完結したので、使徒・預言者の使命も完了した。よって、彼らはこんにち存在しない、としています。
彼らの働きにより新約聖書が完結したのは間違いありませんが、だから使徒・預言者が不要になったとは、これらの聖句は述べていません。
これら聖句の解釈については、前回のダビデの日記⇒をご参照ください。
⇒http://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/20190694.html
●汽灰螢鵐硲后В
1Co 9:1 私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。
ある方々は上記の聖句を根拠に、使徒の条件としてイエス・キリストを目撃していなければならないとしています。そしてこんにちは、キリストを目撃することはもはやないので使徒としての条件が満たされえず、それゆえ使徒は存在しえないと。
しかしキリストの目撃は、本当に使徒の条件でしょうか。新約聖書時代の使徒たちの中には、キリストを目撃しなかった使徒が複数います。
◎バルナバ
バルナバが使徒であったことは疑う余地がありません(使徒14:14、同14:4、その他)。しかしバルナバがキリストを目撃したという言及は、聖書のどこにもありません。
むしろ、もしバルナバがキリストを見たことがあったのであれば、パウロは汽灰蝪后В韻如◆峪笋燭舛蓮ΑΑ主イエスを見たのではないでしょうか」とはっきり書いたはずです。しかしパウロは、「私は・・・」と書き、自分しかキリストを見ていないことを示唆しています。これにより、バルナバはイエスを見たことがなかったと考えるのが妥当でしょう。
◎シラス(シルワノ)とテモテ
汽謄汽蹈縫隠院В韻汎隠押В兇ら、彼らも「キリストの使徒たち」(2:6)であったことがわかります。しかしシラスやテモテがキリストを目撃したという記事は、聖書のどこにもありません。
このように、キリストを目撃したことがなくても使徒であった人たちは複数存在しました。
●汽灰螢鵐硲隠機В検■
1Co 15:8~9
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。
英語の聖書では、訳し方の語順のゆえに、「彼(キリスト)は最後に私にも現われてくださいました」(下記参照)となるため、この聖句と汽灰蝪后В韻鮑拠に、キリストが現われたのはパウロが最後だった。だから十二使徒とパウロ以外の使徒はありえないと論じる方々がいます。
注:and last of all he appeared to me also, as to one abnormally born.
しかしこの聖句でパウロは、自分は「使徒の中では最も小さい者」と言っているのであって、最後の使徒だと言っているのではありません(エペソ3:8も参照)。また前述したとおり、汽灰蝪后В閏体が使徒の条件にはなりません。
それに加えて、汽灰螢鵐硲隠機В靴如屬修譴ら使徒たち全部に現われました」とパウロは述べており、十二使徒やパウロ以外にも、複数の使徒たちが存在したことがわかります。
●その他の聖書箇所
聖書は上記以外の箇所でも、第一世代の使徒以外にも、使徒が存在していたことを示唆しています。
◎競灰螢鵐硲隠院В隠
「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。」
名の知れた使徒たち以外にも複数の使徒がいたからこそ、パウロはコリントのクリスチャンたちに、このような警告を語る必要がありました。もし十二使徒やパウロ以外に使徒が存在し得なかったのであれば、12使徒とパウロ以外は全員「にせ使徒」であることは言うまでもありません。
しかし本物がいるから偽もいるのであって、パウロは自分たち以外にも本物がいて、本物と偽を見分ける必要性があったので、このように教えているのです。
◎黙示録2:2
「 あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。」
使徒ヨハネがパトモスで黙示録を見た頃には、ヨハネ以外の十二使徒はみな死んでいました。またパウロも殉教していました。もし十二使徒とパウロ以外に使徒が存在し得ないのであれば、キリストはなぜエペソ教会に向かって、このように語る必要があったでしょうか。
第一世代意外にも使徒は存在していたのです。そしてその使徒たちの中には、本物と偽者がいたのです。そうでなければ、このキリストの言葉は成り立ちません。
●これまでのまとめ
このように聖書は、十二使徒やパウロ以外には使徒が存在しないことを裏付けていません。逆に、彼ら以外にも使徒がいたことを裏付けています。
ある方々は、教会史を通じ一貫して使徒の後継者が存在し続けていないからという理由で、だからこんにちも使徒はいないと結論付けますが、たとえ後継者も前任者もいなくても、神には使徒を新たに起こすことはまったく可能です(使徒13:1~3、マタイ3:9)。
つづく
Eph 4:11
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
ある方々は、こんにち使徒や預言者は存在しないと論じておられます。その方々が根拠にしている聖句として、エペソ2:20、同3:5、汽灰螢鵐硲后В院同15:8、9などがあります。
これらの箇所を見ながら、聖書が使徒や預言者がこんにち存在しないと本当に語っているかどうかを考えたいと思います。
●エペソ2:20と3:5
使徒・預言者がこんにち存在しないと考える方々は、この二つの聖句により、新約聖書時代の使徒・預言者を通して真理がすべて啓示され、新約聖書が完結したので、使徒・預言者の使命も完了した。よって、彼らはこんにち存在しない、としています。
彼らの働きにより新約聖書が完結したのは間違いありませんが、だから使徒・預言者が不要になったとは、これらの聖句は述べていません。
これら聖句の解釈については、前回のダビデの日記⇒をご参照ください。
⇒http://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/20190694.html
●汽灰螢鵐硲后В
1Co 9:1 私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。
ある方々は上記の聖句を根拠に、使徒の条件としてイエス・キリストを目撃していなければならないとしています。そしてこんにちは、キリストを目撃することはもはやないので使徒としての条件が満たされえず、それゆえ使徒は存在しえないと。
しかしキリストの目撃は、本当に使徒の条件でしょうか。新約聖書時代の使徒たちの中には、キリストを目撃しなかった使徒が複数います。
◎バルナバ
バルナバが使徒であったことは疑う余地がありません(使徒14:14、同14:4、その他)。しかしバルナバがキリストを目撃したという言及は、聖書のどこにもありません。
むしろ、もしバルナバがキリストを見たことがあったのであれば、パウロは汽灰蝪后В韻如◆峪笋燭舛蓮ΑΑ主イエスを見たのではないでしょうか」とはっきり書いたはずです。しかしパウロは、「私は・・・」と書き、自分しかキリストを見ていないことを示唆しています。これにより、バルナバはイエスを見たことがなかったと考えるのが妥当でしょう。
◎シラス(シルワノ)とテモテ
汽謄汽蹈縫隠院В韻汎隠押В兇ら、彼らも「キリストの使徒たち」(2:6)であったことがわかります。しかしシラスやテモテがキリストを目撃したという記事は、聖書のどこにもありません。
このように、キリストを目撃したことがなくても使徒であった人たちは複数存在しました。
●汽灰螢鵐硲隠機В検■
1Co 15:8~9
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。
英語の聖書では、訳し方の語順のゆえに、「彼(キリスト)は最後に私にも現われてくださいました」(下記参照)となるため、この聖句と汽灰蝪后В韻鮑拠に、キリストが現われたのはパウロが最後だった。だから十二使徒とパウロ以外の使徒はありえないと論じる方々がいます。
注:and last of all he appeared to me also, as to one abnormally born.
しかしこの聖句でパウロは、自分は「使徒の中では最も小さい者」と言っているのであって、最後の使徒だと言っているのではありません(エペソ3:8も参照)。また前述したとおり、汽灰蝪后В閏体が使徒の条件にはなりません。
それに加えて、汽灰螢鵐硲隠機В靴如屬修譴ら使徒たち全部に現われました」とパウロは述べており、十二使徒やパウロ以外にも、複数の使徒たちが存在したことがわかります。
●その他の聖書箇所
聖書は上記以外の箇所でも、第一世代の使徒以外にも、使徒が存在していたことを示唆しています。
◎競灰螢鵐硲隠院В隠
「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。」
名の知れた使徒たち以外にも複数の使徒がいたからこそ、パウロはコリントのクリスチャンたちに、このような警告を語る必要がありました。もし十二使徒やパウロ以外に使徒が存在し得なかったのであれば、12使徒とパウロ以外は全員「にせ使徒」であることは言うまでもありません。
しかし本物がいるから偽もいるのであって、パウロは自分たち以外にも本物がいて、本物と偽を見分ける必要性があったので、このように教えているのです。
◎黙示録2:2
「 あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。」
使徒ヨハネがパトモスで黙示録を見た頃には、ヨハネ以外の十二使徒はみな死んでいました。またパウロも殉教していました。もし十二使徒とパウロ以外に使徒が存在し得ないのであれば、キリストはなぜエペソ教会に向かって、このように語る必要があったでしょうか。
第一世代意外にも使徒は存在していたのです。そしてその使徒たちの中には、本物と偽者がいたのです。そうでなければ、このキリストの言葉は成り立ちません。
●これまでのまとめ
このように聖書は、十二使徒やパウロ以外には使徒が存在しないことを裏付けていません。逆に、彼ら以外にも使徒がいたことを裏付けています。
ある方々は、教会史を通じ一貫して使徒の後継者が存在し続けていないからという理由で、だからこんにちも使徒はいないと結論付けますが、たとえ後継者も前任者もいなくても、神には使徒を新たに起こすことはまったく可能です(使徒13:1~3、マタイ3:9)。
つづく