ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

どうして神は人を造ったのか?

このタイトルは、最近、未信者の友人からメールで尋ねられた質問です。そして以下の文章は、彼に対して私なりに答えたものです。未信者の方々の中に、私の友人と同じような疑問を持っている方が他にもいるかもしれないと思い、久しぶりにブログに掲載することにしました。(一部編集してあります。)


お詫び
大変身勝手なことですが、コメントや質問をいただいても、必ずしもお答えできないかもしれません。最近、ブログには時間を使わなくなったためですm(_ _"m)

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どうして神は人を造ったのか?


この答えをはっきりと知るには、結局、神の言葉である聖書を調べてみるしかありません。人間が推察しても、それは哲学になってしまい、神からの答えにはなりません。聖書では次のように言っています。

Isa 43:7 (イザヤ43:7)
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

Eph 1:11 (エペソ1:11~12)
私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。


聖書は、人が創造されたのは、神の栄光のためだと言っています。ただ、ここで重要なのは、どちらの聖句も、神を信じている人について述べていることです。

イザヤのほうは「わたしの名で呼ばれるすべての者」とあり、文脈をさかのぼってみると、直接的にはイスラエル人(ユダヤ人)を指していることがわかります(43:1)。

エペソのほうの「私たち」とは、新約時代のクリスチャンのことを指しています(こんにちのクリスチャンも含む)。

ということは、人間は自分の創造者である神を知ることによってはじめて、自分たちが神の栄光のために造られたことを心から納得できるからではないかと思います。神を知らない状態にある人が、自分たちは神の栄光のために造られたと言われてもピンと来ないのは、その人が創造者を知らない(=その人の知識の中に神がいない)からだと思います。自分にとって存在しない誰かの栄光のために自分が造られたと言われても、ピンと来ないのは当然かなと・・・。

これで終ってしまうとつまらないので、もう少し付け足そうと思います。



●地上を支配させるため

これから書くことは、厳密いうと、人間が造られた理由ではなく、人間が神と似ている存在として造られた理由です。


Gen 1:26 (創世記1:26)
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

(1:28にもほぼ同じことが書かれています。)

創世記によると、神は人間より先に、あらゆる動植物を造りました。そしてそれらを支配させるために人間を造ったと書いてあります。

ところが人が神に罪を犯した瞬間、この「神の似姿」という特質が歪められました。特質のすべてを失ったわけではありませんが、特質の一部は無力化しました。具体的に言うと、人間は、独力では神を知ることができなくなってしまいました。このことを、クリスチャンたちは「堕落」と呼んでいます。

聖書では、次のように書いてあります(ローマ人への手紙3章)。

3:11 理解する者はいない。神を尋ね求める者はいない。
3:12 すべての者はそれてしまい、彼らはことごとく無用になった。善を行なう者はいない.そのような者は一人もいない。


神は地上を支配する権威と使命を人間に与えたのですが、その使命の与えぬしを知ることができなくなってしまったわけです。イエスによる救いは、この「堕落」からの解放と、人間に与えられた特質の回復といえます。

人間が造られたのは、地上を支配させるためです。ですから聖書の一番最後の黙示録にも、人が地上を支配することが予告されています。ただし誰もがそうなるというのではなく、失われた特質が回復され、神との関係が修復されている人(=クリスチャン)が地上を永遠に支配すると書かれています(黙示録22:5参照)。