ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「ヨハネ3:16は福音か?」その3

以下は「ヨハネ3:16は福音か?」という本の部分訳です。シリーズで少しずつ掲載しています。今回で3回目です。
 
誠に申し訳ありませんが、コメントには応答できません。ご了承ください。
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「世」
 
神は世を愛しました。父なる神が世をアガペしたのです。神は私たちの必要に対して、思い遣りを示しました。「世」のためにそうしたのです。では聖書において、「世」という言葉はどういう意味なのでしょうか。「世」は、地理的な意味で使われているのではありません。地球という惑星を指しているわけではないのです。聖書の中でこの言葉は、いつも人間に関して述べています。人類とか人間社会を示しています。神が人間社会をアガペしたのです。「世」という言葉は、全人類を含む広い意味で使われていると同時に、罪深い世界という悪い意味でも使われています。世は、罪のゆえに堕落しており、反抗的なのです。
 
ヨハネの第一の手紙に「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません」(2:15)とあります。この内容をヨハネ3:16に適用する必要があります。それは一見、まったくの矛盾に見えます。神は世を愛したにもかかわらず、私たちは愛すべきではないと言われているからです。この聖句の「愛」も同じアガペです。神が世を愛するのはよいけれども、私たちには駄目だと言っているように思えます。私たちは神のしたことをコピーしてはいけないのです。これについては、のちほど解説します。ここでは、神を愛さない反抗的で罪深い堕落した社会を、神がアガペしたということを覚えておいてください。
 
さて、神は大きな問題を抱えています。その問題とは、反抗的な子どもたちです。そして聖書とは、神が神の問題をいかにして解決したかを物語っているのです。「世」とは、反抗的な子どもたちからなる家族全体を意味しています。ですから、神が世を愛すると言うとき、それはこの美しい世界を神が愛しているとか、人間社会を神が愛しているという単純なことではありません。反抗的で神を憎んでいる世を神が愛し、その世に対して何かをしたということなのです。
 
Whosoever/誰でも」
 
この言葉が「誰でも」と訳されているのは残念です。ギリシャ語では「すべて」という意味の言葉だからです。これは「anyone/誰でも」という意味ではありません。信じる者全員(everyone who believes)という意味です。これは広い範囲にわたる招きです。「キリストを信じる者は全員」だからです。「キリストを信じる者は誰でも」ではなく、「キリストを信じる者は全員もれなく」ということです。「whoever」という言葉は、個人を意味する傾向がありますが、「信じる者全員」という表現には、英語では表現されない重厚間(breadth)があります。
 
「信じる」
 
それでは次に、「信じる」を見てみましょう。この「信じる」という言葉の後ろについている「in」という前置詞の役割が非常に大切です。Believing thatbelieving inの違いは大きなものです。まったく違います。例えばbelieving in meは、私という人格を信頼するという意味ですが、believing thatはその内容を信じるという意味だからです。
 
ヨハネ3:16は、「誰でも、イエスが彼らの罪のために死んだことを信じるなら」とは言っていません。それはbelieving inとは違うのです。「イエスが私たちの罪のために死んだことを信じる」ことは、救いにつながる信仰ではありません。あなたの罪のために死んだキリスト(の人格)に信頼することが救いにつながる信仰なのです。この違いがわかりますか。神がひとり子を与えたほど、世を愛したことを信じるだけでは十分ではありません。あなたがキリスト自身を信じない限り、十分ではないのです。ここにポイントがあります。キリストが自分の罪のために死んだという事実を受け入れるだけでは、あなたは救われないのです。けれどもあなたの罪のために死んだキリストを信頼するなら、あなたは救われるのです。
 
「滅びる」
 
この「滅びる」という言葉は、十分に原語の意味の強さを表していません。私の印象では、「滅びる」というと、ゆっくりと崩壊してゆく感じです。しかし実際は、とても強い意味の言葉です。聖書の他の箇所では、通常「破壊される」と訳されています。そしてこの言葉には、造られた目的のために、もはや役に立たない状態にされるという意味があります。ある日、女がイエスのもとに高価な香油を持ってきました。彼女はつぼを割って香油を注ぎますが、そのときイスカリオテ・ユダがこの言葉を使って言いました。つぼは破壊されてしまった。二度と使うことはできない。それは無駄になってしまったと。
 
「滅びる」という言葉は、誰かによって破壊されるという意味です。実際この言葉は、ヨハネ3:16の原文では、受身形で「破壊される」と書かれています。「破壊する」は、マタイ10:28の「そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナ滅ぼすことのできる方を恐れなさい」とのイエスの言葉にあるのと同じ言葉です。これは、神が誰かを破壊し役立たずにしてしまうことを意味する、とても強い言葉なのです。このように「滅びる」は、破壊され、完全に役立たずにされ、本来の目的を果たせなくされるという意味です。存在しなくなるという意味ではありません。そうではなく、まったく役に立たない状態で存在することになるという意味なのです。ですから地獄とは、神によって破壊され役に立たなくなった人間たちが満ちている場所なのです!