ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

選ばれた人々 2

神の選びの話をすると、必ずといっていいほど「では、この聖句はどう解釈するのですか」という疑問が生じてきます。たとえばⅡペテロ3:9です。

「(主は)あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

聖書(の筆記者たち)は教義において一貫しています。ですから、きちんと文脈中で聖句を解釈するなら、教義と聖句の意味が矛盾することは決してありません。もし矛盾するなら聖書(の筆記者たち)は、うそつきか統合失調症精神分裂病)のどちらかと言わざるを得なくなっていまうでしょう。

上記の聖句の「あなたがた」とは誰でしょうか。それは3章の1節を見るとわかります。「いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは」とあるとおり、この「あなたがた」(手紙の読者)は、第一の手紙と同一の読者です。では、第一の手紙の読者とはだれでしょうか。それはⅠペテロ1:1,2を見ればわかります。「選ばれた人々」(1節)「選ばれた人々」(2節)です。つまりペテロがⅡペテロ3:9で言っていることはこうです。

「(主は選ばれた人々である)あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、(あなたがたが)ひとりでも滅びることを望まず、すべての人(注)が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

注:上記の聖句の「すべての人」は日本語訳で「人」という言葉が使われているだけで、ギリシャ語原典では、「すべて」「全員」「全部」を意味するパンタスというギリシャ語が使われています。ですから、ペテロが意味しているところは、「あなたがた全員が悔い改めに進むこと」です。

ペテロが「選ばれた人々」に悔い改めを勧めている理由は、Ⅱペテロ3章の文脈を見ればわかります。特に4節に明確なヒントがあります。

「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

文脈からわかることは、「選ばれた人々」はキリストの再臨を教えていた使徒に対して疑問を抱き、不信仰に陥っていました。当時、新約聖書は完成していませんでしたから、使徒の言葉は救いの基です。それを信じないということは、彼らが滅びに向かう危険性を示していました。そこでペテロは彼らに悔い改めを促しているのです。

14節を見ると彼らに対するペテロの励ましはさらに明確になります。「愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」

愛する人たち」とは、3:1の「あなたがた」のことですから、「選ばれた人たち」のことです。「しみ」「傷」とは罪のことを言っています。手紙の読者であるクリスチャンたちが、不信仰が原因でさらなる罪に陥ることがないようペテロは悔い改めを促し、励ましているのです。