ヨエルの預言
「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」
使徒2:17~18
この箇所はカリスマ・ペンテコステ派では、リバイバルを約束する箇所として信じられています。私も長年、そう信じてきました。終末が来ると、主は未信者を含むすべての人間の上に聖霊を注ぎ、超自然的な神のわざを起こし、たくさんの人が救われるリバイバルが起こると。
しかし最近この箇所を読んでいたとき、この箇所の中心的な意味を誤解していたことに気づかされました。
39節では「約束」について説明しています。 ※ご自分の聖書を開いてご確認ください。
これらの「約束」とは、どの約束でしょうか。(正直、私は、この「約束」について余り深く考えずに読み流していました。)
それは、ヨエルの預言で語られている「わたしの霊を注ぐ」という約束です。
では、ペテロの説教の中心テーマは何でしょうか。
それは、イエスによる救いです。
その救いが、聖霊の注ぎ掛けによって実現したと説明しているのです。
しるしや不思議はその証拠として表現されているにすぎません。
私はリバイバルを否定しているのではありませんので、誤解のありませんように。ただこの箇所の中心的なメッセージをお分かちしたいのです。
●私たちにも成就
39節でペテロが、「遠くにいる人々」「主がお召しになる人々」にも同じ約束が与えられていると言っています。これらの人々とは、誰でしょうか。
私たち異邦人信者です。
ですから、いま救われている私たちも、ヨエルの預言の実なのです。
このブログの読者の方々も、必ずしもリバイバルの中で救われたわけではないでしょう。
しかし私たちが、ヨエルの預言の成就として救われたことは確かです。その意味で、この預言は今も成就しつつあり、今後も成就し続けるのです。
神は聖霊による救いを数千年前から預言し、それがあなたや私に成就したのです。素晴らしいことではありませんか!
しかしそれは間違いでした。私たちは、ヨエルの預言の実なのです!