ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ヨエルの預言

「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」 
使徒2:17~18

この箇所はカリスマ・ペンテコステ派では、リバイバルを約束する箇所として信じられています。私も長年、そう信じてきました。終末が来ると、主は未信者を含むすべての人間の上に聖霊を注ぎ、超自然的な神のわざを起こし、たくさんの人が救われるリバイバルが起こると。

しかし最近この箇所を読んでいたとき、この箇所の中心的な意味を誤解していたことに気づかされました。

●本当のテーマ
2章の33節で、ペテロが「約束の聖霊」について人々に説明しています。

39節では「約束」について説明しています。   ※ご自分の聖書を開いてご確認ください。

これらの「約束」とは、どの約束でしょうか。(正直、私は、この「約束」について余り深く考えずに読み流していました。)

それは、ヨエルの預言で語られている「わたしの霊を注ぐ」という約束です。

では、ペテロの説教の中心テーマは何でしょうか。

それは、イエスによる救いです。

その救いが、聖霊の注ぎ掛けによって実現したと説明しているのです。

しるしや不思議はその証拠として表現されているにすぎません。

ですから神がヨエルの預言で語っていることの中心は、リバイバルではなくエスにある救いなのです。

ペテロは、リバイバルが起こり始めたと説明しているのではなく、聖霊によってイエスにある救いが実現した、と語っているのです。

私はリバイバルを否定しているのではありませんので、誤解のありませんように。ただこの箇所の中心的なメッセージをお分かちしたいのです。

●私たちにも成就
39節でペテロが、「遠くにいる人々」「主がお召しになる人々」にも同じ約束が与えられていると言っています。これらの人々とは、誰でしょうか。
 
私たち異邦人信者です。

ですから、いま救われている私たちも、ヨエルの預言の実なのです。

私は約30年前に、福音派の宣教団体の働きで救われました。リバイバルとは無関係の働きです。しるしも不思議も一切ありませんでした。

このブログの読者の方々も、必ずしもリバイバルの中で救われたわけではないでしょう。

しかし私たちが、ヨエルの預言の成就として救われたことは確かです。その意味で、この預言は今も成就しつつあり、今後も成就し続けるのです。

神は聖霊による救いを数千年前から預言し、それがあなたや私に成就したのです。素晴らしいことではありませんか!

私は、ヨエルの預言は自分とは直接関係のないリバイバルの預言だと、長年誤解していました。このようなリバイバルがいつの日か日本にも起こると考えてきました。
 
しかしそれは間違いでした。私たちは、ヨエルの預言の実なのです!