神の愛と契約
「わたしはあなたがたを愛している」と主は仰せられる。
あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。
エサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を野のジャッカルのものとした。」 マラキ1:2~3
こんにちのキリスト教界には、神の契約に関する知識が欠けているために、救いや恵みの教理に混乱があります。救いの可能性は普遍的で、万人が救いを受けられると誤解されれています。
また信者に対する神の愛に関しても混乱があります。多くの兄弟姉妹は、神の愛は平等だと思っておられるでしょう。神はすべての人を分け隔てなく愛するお方だと。
この誤解のゆえにクリスチャンたちは、本来実感すべき神の恵みや神の愛を、大きく損失しています。
確かに「神は愛です」とヨハネが述べているとおり、神のご性質としての愛があります(Ⅰヨハネ4:16)。ご性質としての神の愛は平等で、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます(マタイ5:45)。
しかし冒頭の箇所で述べられている神の愛は、明らかに偏愛です。一方を愛し、他方を憎んでいるのですから。
これはどういうことかと言えば、この箇所で述べられている愛が、契約の愛だからです。
契約の愛は、選ぶ愛です。普遍的な愛ではなく、神が選んだ特定の相手だけを愛する愛です。そしてこの契約の愛で、私たちクリスチャンは神から愛されているのです(ローマ9:13)。
●神は選ぶ
神は契約を結ぶとき、必ず相手を選びます。これは、結婚とよく似ています。相手を選び、その人とのみ誓いを立てるからです。
神の契約は、まさに教会(選ばれた人々)との結婚のようなものです。(実際のところ、神の契約の最終地点は、キリストと教会の結婚です。黙示録19:9)
神はノアとその子孫を選び、契約を結びました(創世記9章)。
神はアブラハムを選び、彼と契約を結びました(創世記15:18)。
同じように神は、イサクを選び、彼をアブラハム契約の相続人としました。イシュマエルが先に生まれていましたが、彼は選ばれませんでした(創世記17:19,21)。
このように、神が契約を結ぶとき、誰とでも結ぶわけではありません。神が選んだ者とのみ結ぶのです。
「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」エペソ1:4
「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め・・・」ローマ8:30 ※「義と認める」=救われる
「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。」ローマ8:33
「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、また血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。」Ⅰペテロ1:2
「永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。」使徒13:48
このように、神によってあらかじめ選ばれた人だけが、恵みによって救い(新しい契約)に入れられるのです。これは神に不正があるのではなく、神の主権が立てられるためです(ローマ9:14、15)。
サタンは普遍的救済論によって、クリスチャンから神の愛を奪い、神の契約をぼやかしています。私たちは聖書に堅く立ち、だまされないようにしましょう。
私たちクリスチャンはまったくの恵みによって選ばれ、新しい契約に入れられました。この恵みを味わい、感謝しましょう。神は私たちを愛しておられるのです(マラキ1:2、ローマ8:35)!