ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

新しい契約

「この杯は、わたしの血による新しい契約です。」  Ⅰコリント11:25

この箇所は、聖餐式の定番の箇所となっています。このイエスの言葉には、どのような意味があったのでしょうか。

多くの方々は、過ぎ越しの祭りとの関連を考えると思います。それもあながち間違いではありませんが、その理解では「新しい契約」とわざわざイエスが述べている意図が伝わりません。その深意を知るためには、旧約聖書に書かれている神の契約について知る必要があります。

「見よ。その日が来る。~主の御告げ~
その日、わたしはイスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。・・・
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。~主の御告げ~
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。・・・
わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」  エレミヤ31:31~34

神はイエスを遣わす数千年前に、すでに「新しい契約」を神の民と結ぶことを予告しておられました。

人々は旧い契約を守ることができませんでした。なぜならすべての人は生まれながらにして罪の奴隷であって、神の律法に従うことができないからです(ローマ8:7)。

神は肉の行いによる救いは不可能であることを人々にわからせるために、敢えて律法を与えました。それは、律法ではなく恵みによる救いに導くためです(ガラテヤ3:24)。

上記の箇所をよく読んでみると、「わたしが~する」という表現が目立ちます。これは、新しい契約(イエスにある救い)は、聖霊の働きによる神主導の救いであることを示しています。人が福音を信じるという出来事が、御霊の働きであることを示しています。信者に起こる罪の悔い改めも、聖霊による新しい契約について述べられていることの一部です(特に31:34)。

救いは、人の力では獲得できません。人の努力や知恵は、罪の赦しや神の子どもになること、ボーンアゲンすること、神の国に入ることに関しては、まったく無力なのです。ですから神の主権と恵みによる救いを、神は計画されました。それが「新しい契約」です。

●契約の執行と血
神の契約を執行するには、血が不可欠です。

「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。」 創世記15:18

上記の聖句に「契約を結ぶ」という表現があります。この表現のヘブル語は、文字通りには「契約を切る」と書かれています。
 
なぜ「切る」という言葉が使われるかというと、契約の執行の際に動物を切り裂くことが求められたからです(創世記15:9~10)。
 
なぜいけにえを切り裂くことが必要だったかといえば、契約を破った者は、罰としてその動物と同じ目に遇うという意味があったからです。

ですから神との契約を破った私たち人間は、本当は切り裂かれなければなりません。しかし私たちの立場を、イエスが身代わりに引き受けてくださったのです。
 
この原則を理解してはじめて、「わたしの血による新しい契約」の意味がわかります。

エスが十字架で流された血は、エレミヤ31:31の「新しい契約」を執行するための血であり、同時に契約を破った神の民の身代わりとして流した血でした。それを指してイエスは、「この杯は、わたしの血による新しい契約です」と言われたのです。
 
エスの十字架によって、「新しい契約」は、これまでの予告の段階から、執行の段階になったのです。

新約聖書の理解
これらのことを理解した上で新約聖書を読むなら、その意味がより明確になります。

たとえばヘブル7:22の「そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです」という言葉も、今まで以上にうなづけます。同様に、ヘブル8章で、筆者が上記に挙げたエレミヤ31:31を引用していますが、その意図もより深く理解できるようになります。

またⅡコリント3:6でパウロが「新しい契約」と「御霊に仕える」ことについて述べていますが、それについても理解が深まります。

神の契約を理解することは、聖書理解の大きな助けとなります。今後さらに、神の契約ついて学んで行きたいと思っています。