吟味の実際 その2
●聖書的か
一番基本的な吟味の方法です。
教え・勧め・慰め・励ましのカテゴリーに入る預言は、まず内容が聖書的かどうかを確認しましょう。
●預言の流れ
次に預言の流れによる吟味があります。
例えば、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」という勧めの預言が出たとします。
これは間違いなく聖書的です。
ゆえに内容的には何の問題もありません。
こういう場合、預言として受け取っても害にはなりませんが、
前回述べた「預言の霊」の臨在がその預言が語られたときにあったかどうか、
また、その預言が語られた前後の文脈的な流れはどうかで判断しましょう。
「愛し合いなさい」という預言が語られた前後が、まったく違うテーマの預言ばかりで、その預言だけ内容的に浮いてしまっているという場合、
聖書的な内容の預言であっても、聖霊が言わせたのではなく、語った人が自分の思いを言ってしまった可能性が高いことになります。
吟味が難しい場合、預言を語った本人に聞いてみるのも手です。
素直な人であれば、自分の思いを預言として語ってしまったことを認めるかもしれません。
失敗に気づくことは、本人にとっても成長のために役立ちます。
●大人数での預言
預言を大人数で語る場合、複数の異なる預言の流れが交錯してしまう場合があります。
ある人は愛し合うことに関する預言の流れを捉えて預言し、別の人は霊の戦いに関する預言の流れを捉えて預言し、
また別の人は別の流れの預言を捉えて預言する可能性があります。
そうなった場合、預言のテーマに統一性がなく、色々なテーマ、色々な内容の預言が無秩序に語られてしまうことになります。
そういう時は集会のリーダーが、どの流れの預言を優先するかを決めましょう(Ⅰコリント14:40、同14:32~33)。
自分の霊でどの預言が深まりそうかがわかっていればそれに絞って預言を捉えるようみなを励まし、
選択のポイントが明確でないなら、預言の賜物を持っている人が捉えている預言の流れを優先すればいいと思います。
一つの流れの預言をみなで追うことによって、預言の内容が深まっていき、神が本当に語らせたい深みのある預言が語られるようになります。
これは祈り会と似ていると思います。
御霊が望んでいる祈りを祈り続けていくと、驚くほど深い祈りが導かれます。
預言も御霊の働きですので、同じ原理があるのです。