吟味の実際 その4
「このとき、あなたがたは、主であるわたしが語ったことを知ろう。」 エゼキエル17:21後半
旧約聖書を読んでいると、「わたしが主であることを知ろう」とか
「主であるわたしが語ったことを知ろう」といったフレーズをしばしば目にします。
それらの言葉の前には、必ず予告(しばしば裁きの)が語られています。
そしてその予告どおりになったとき、それを語ったのが主であることを知るだろうと、神は述べています。
こういった予告預言の目的は、単に神が将来を見通していることをわからせるだけではありません。
神がこの世界を支配しておられ、語ったとおりに人や物事を動かすことができること、
自分のしたいことをそのとおりに実行する力があることを人間にわからせようとしているのです。
平たく言えば、この世界の支配者が人間ではなく、神であることをわからせようとしているのです。
神のこのご性質を英語では sovereignty of God と呼んでいます。
日本語では「神の主権」とか「主権性」という訳になると思います。
神のこの性質は、こんにちも変わっていません。
私の体験をご紹介して、そのことを証ししたいと思います。
●私の体験
2007年の年始、聖霊が私に、新しい構造の教会を体験させると言いました。
そのため、私が所属しているグループを出なけれならないと言いました。
私はクリスチャン人生の大半をそのグループで過ごしてきましたし、
そのグループに属する、岐阜市の子教会を任されていましたので、
グループを抜けるということは私にとっては一大事でした。
判断を間違ってはいけないので、そのときから私は確認の祈りを始めました。
3月までには、いくつかの示しを聖書を通して受けていました。
3月下旬に、別のグループ(CAとします)の聖会が東京で行われるので、それに参加することにしました。
私には、CAに加入することが、神の導きかどうかを確かめる目的がありました。
そこで女性の方から個人預言を受けました。
その方とはまったくの初対面で、私が何者であるかもその方は知りませんでいたが、
その方は預言の中で、見事に私に関していくつかのことを言い当てました。
その聖会と預言が最終的な確認となり、私は22年間所属していたグループを退会する決断をしました。
そのグループを出ることは、私にとって、まるでクリスチャンであることを止めるかのようにさえ感じられましたが、
祈れば祈るほど、確認すればするほど、出ることが神の導きであるという答えが返ってきました。
3月最後の日曜礼拝の説教の中で、自分がこのグループを出ることを教会員たちに述べ、
信徒は一人も連れて行かずにそのグループを退会ました。
その時点では、新しい教会が具体的にどのような教会であるかは、私には知らされていませんでした。
私はアメリカから取り寄せた本を読み、教会に関して勉強しました。
退会してから3、4ヶ月たった頃、私はセルチャーチをやるべきか、
ハウスチャーチをやるべきか迷い、主に祈っていました。
7月の中頃、私は名古屋に一つだけハウスチャーチがあることを知りました。
関西在住の日本人指導者が監督していたハウスチャーチでした。
私はその方にメールを送り、そのハウスチャーチを見学させて欲しいと頼みましたが断られました。
その代わりその方は、私のことを、あるアメリカ人宣教師に紹介してくれました。
その宣教師(Hさん)は愛知県豊田市在住で、日本でハウスチャーチを開拓している方でした。
私が連絡を取る前にHさんのほうからメールを送ってくれて、岐阜市まで出向くので会いましょうとのことでした。
Hさんは私との出会いは祈りの答えだと言い、
その後、2~3週間ごとに岐阜に来ては、交わりのときを持つようになりました。
彼はまるで、私にとって霊の父のような存在となりました。
このHさんとの関わりが与えられたことにより、
私の進むべき道がハウスチャーチであることを神は示してくださいました。
一方、私はCAのトップにハウスチャーチの本を送りました。
彼はハウスチャーチのある部分を受け入れ、聖会の説教で推奨するほどになりましたが、
完全には受け入れきることができませんでした。
これによって、CAには導かれていないこともわかりました。
話が前後しますが、2007年3月から6月にかけて、CAの聖会に出て個人預言を受けました。
3月の聖会で女性の方から受けた預言の中には、予告が含まれていました。
彼女によると、私は若者が集まる教会を運営するようになるとのことでした。
また6月の聖会で受けた個人預言では、「えっと思うような、人とのつながりが与えられる」(女性の預言者)、
「外人とのコネクションが与えられる」
「あなたがターゲットにするのは若い大人たちだ。その点は確信がある」(カナダ人の男性預言者)、
という予告を受けました。
Hさんとの出会いは、まさに預言どおりでした。
しかし、ハウスチャーチはすぐには始まりませんでした。
もうしばらく、神は私に学びのときを与えました。
H宣教師と出会って1年が経過した2008年7月、
H宣教師の誘いで、海外でクリスチャンになり日本に帰国した人たち(帰国者と呼ぶ)
に関する集会に参加しました。
直接ハウスチャーチとは関係がないのですが、その集会に出た私は、
帰国者たちを助けたいと思うようになりました。
そして岐阜市周辺に帰国者がいないかを知ろうと思い、ネット検索してみました。
彼は、P兄というオーストラリア人でした。
私は彼にメールを送りました。
するとP兄から、驚くべき返信が帰ってきました。
「あなたはH宣教師が話しているダビデさんですか?」と尋ねてきたのです。
P兄とH宣教師は知り合いで、H宣教師からいつも私の話を聞いていたというのです。
P兄と会い話してみると、P兄もハウスチャーチをずっとやりたいと思っていたと言うのです。
彼は近隣にある在日外国人が集う教会に行っていましたが、
どうしてもハウスチャーチを始めたくなり、その教会に行くのをやめました。
その直後、自分一人でハウスチャーチをやってみましたが、失敗したとのことでした。
彼も本を読むなどしてハウスチャーチについて学びながら、主の時を待っていたのでした。
P兄とハウスチャーチを始めることが主の導きであるかどうかを知るために、
2,3回、二人で会って一緒に祈りました。
祈りのうちに、P兄とハウスチャーチを始めることが主の導きであることがはっきりし、
2008年8月、P兄の家でハウスチャーチが始まりました。
ハウスチャーチをはじめると、最初の数週間は、毎週一人ずつ参加者が増えていくので、驚きの連続でした。
来る人たちはみな、若い大人ばかりでした。
その中には帰国者の兄弟も二人いました。
H宣教師と出会ってからハウスチャーチが始まるまで1年間のインターバルがあったため、
私はすっかり預言の内容を忘れていました。
けれどもハウスチャーチが始まってしばらくたってから、
確かに預言どおりに外人とのコネクションが与えられ、
若い大人が集めれたことを改めて思い返し、主の栄光を讃えました。
ハウスチャーチの兄弟姉妹たちにも預言の話をしたところ、彼らの信仰も励まされたのでした。
●予告預言の吟味と対処
多くの人は、預言と予言を混同しています。
しかし予告預言の聖書的な目的は、私たちの人生を神が支配し、コントロールしていることを証しすることです。
私たちの身の回りに神が予告したとおりのことが起こるとき、私たちはそれが神のわざだと知ることができます。
ある方々は予告預言を受け、その内容に満足すると、それが一日も早く成就することを願います。
願っても成就しないと、自力でそれを成就させようとすらします。
またある方々は、予告預言をこの世の「占い」のように自分の人生の一縷の希望にしたり、
自己価値を確認するための手段にしたりしますが、それも間違いです。
そういう方々は、預言どおりにならないと預言につまずいたり、神に対して失望したり、不満や苦味を持ちます。
予告を受けたときは、聞いたことをただ心に留めておきましょう。
のちになって当たっていたことに関しては、
それが神のしたことであると知るための判断材料とし、神に栄光を帰すのです。
予告預言が語られても、それが必ず起こるなどと思い込んではなりません。
その内容を、自分の将来の前提にしてはいけません。
いつそうなるのだろうと、心待ちにしてはいけません。
記憶の片隅に置いておくのです。
そして本当に成就したなら、主が言われたとおりになりましたと、主の栄光を讃えるのです。
予告預言とは、神が自分の人生を支配していることを知るためのものです。
言い方を変えると、自分が神の支配のうちを歩んでいるかどうかを確認するためのものです。
予告預言があなたの心中で、あるいはあなたの人生の中で、それ以上の意味を持ってはいけません。
なぜなら予告預言は、成就してみなければ吟味ができないからです(使徒11:27~29)。
聞いたときには、これは当たっていそうだと思っても全然成就しなかったり、
これは間違いだと思っても、そのとおりになるものがあります。
予告預言を受けてもそれを必要以上に気にすることなく、
ただ神に従うことだけを願い、いつもどおりに歩みましょう。