吟味の実際 注意事項
●預言した人の持論・神学
兄弟姉妹たちの預言する様を観察していますと、預言という形で自分の言いたいことを言っている人が時々います。
それは丁度、集会の祈りの中で、神に向かって祈るのではなく、
周りの兄弟姉妹たちに向かって自分の知っていることを語ったり、
自分のメッセージを話している人がいたりするのと同じです。
この種の預言は聖霊に示されたことを語っているのではなく、
本人が言いたいから言ってしまっている確率が高いので、注意深く吟味しなければなりません。
ですからこの吟味の方法は、教会にいる兄弟姉妹を、神の家族として日頃からよく観察していることが前提になります。
どの人がどういう神学を持っており、どういう持論を持っているか、それを知っていることが前提です。
日頃から伝道を強調している人が、「伝道をもっと熱心にしなさい」という預言をした場合は、
恣意的に預言として語り、みなに自分の思いを受け入れさせようとしたかもしれません。
●旧約の預言者もどき
また時々、自分を旧約時代の預言者と勘違いしている人もいます。
「あなたのためにとりなしの祈りをしていたら、こんなことが示されました」みたいなことを言ってくる人がいます。
そういう場合は、その人があなたに対して好意的であっても疑ってかかるべきです。
私の経験ですが、ある人から(パソコンの)メールで、私への個人預言が送られてきたことがありました。
とても好意的な内容でしたが、それから3年余りたった今も、一向に成就する気配がありません。
●会衆の中での個人預言
会衆の中で名指しの預言が来た場合は、預言する人は配慮をすべきです。
好意的な内容であればまだいいかもしれませんが、
罪の指摘や災いと思われる内容の預言を名指しでしてしまうと、その人を傷つける結果になるかもしれないからです。
そういう時、預言が与えられた人は、集会のリーダーに密かにそういう預言が来たことを話し、
リーダーの牧会的な判断に任せるべきです。
ある方は、そんなことをしたら神の言葉を止めることになると思うかもしれませんが、それは違います。
預言よりも愛することが優先ですし(Ⅰコリント13:1~3)、
教会に混乱をもたらすような内容の預言は、うかつに語らないようにしましょう(Ⅰコリント14:33)。