ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

次の段階

ハウスチャーチ・レポート 第10回目の集会

●インナーヒーリング
金曜夜の集会では、兄弟姉妹たちの祈りを通して、聖霊が、心に傷を負った兄弟たちのインナーヒーリング(内なるいやし)を行なっておられるようだ。この内なるいやしについては、類似した傷を持ち、共通点のある兄弟姉妹が祈り手として用いられている。

自分と相手に共通点があるので、相手の霊的/心的状態がよくわかり、祈りのポイントがつかめるので、聖霊はそういう兄弟姉妹を用いて他の人の内なるいやしをしておられるように見受けられる。

●ハウスチャーチの強み
ハウスチャーチでは、個人の心の深い部分が聖霊に触れられ表に現れ出てくるような働きが、通常の集会で平然と行なわれるところが素晴らしいと思う。

大人数で儀式的要素が強い、既存の教会の日曜礼拝においては、まずありえない光景だ。人前で自分の心の痛みを表に出しながら祈りのミニストリーを受けるというのは、個人の性格にもよるが、通常相当の勇気のいることであって、一般の教会では聖会などの特別な集会をもうけない限り、集会中に参加者のインナーヒーリングを行なうというのは非常に難しい。私も長年、普通の教会に在籍していたが、内なるいやしの場面に遭遇したことは非常に少ない。

今回の集会は、特に内なるいやしのために企画したり準備した集会ではないのだが、聖霊がその気になりさえすれば「何でもアリ」というのは、小回りの利く小集会の強みである。

●金曜集会の反省
集会の終わりの場面で、実は聖霊からその日は聖餐をまだやっていないことを示されたが、夜も遅くなっていたので、自分の判断でやらないまま終った。まあ、イエスさまは、毎回やりなさいとはおっしゃっていないので、やらない日があっても問題ではないと思うが、せっかく聖霊が思い起こさせてくださったのだから、パッとやってから帰れば良かったかなぁと少し反省している。

「それくらいの余裕は間違いなくあったよなぁ。ううっ。聖霊さま、すみません。」

●土曜日の集会
T兄のアパートで、1カ月ぶりに2回目の集会が持たれた。どうやらこちらの集会も、不定期ながら今後も続いてきそうだ。

●光る個性
こちらの集会は、金曜の集会と趣、というか、集会としての個性が異なっている。共通点は、キリストの体の器官としてのひとり一人の個性、賜物、霊的背景などが実に豊かに表される点だ。やはり神は、明らかに、ご自分の子供たちの個性が豊かに現されるセティングを願っておられる、また喜んでおられると思う。

あれだけ個性がある兄弟たちなのに、既存の教会に行ってしまうと、牧師の話を聞きながら椅子に座って時間を過ごすだけで集会を終え、家に帰っていくことになるのだから、もったいないとしか言いようがない。ひとり一人が自由に語れて、自由に祈れる小集会は、やはりここでも兄弟姉妹ひとり一人を活かしている。

●第三の集会
家に帰ってPCメールを開いて見ると、H兄からメールが来ていた。来週の土曜日に、H兄宅でまた集会をするので、来てほしいとのこと。先週、突発的に始まったH兄宅の集会だが、今後も続いていきそうである。

夜、風呂に入っていると、ハウスチャーチの動きが次の段階に入りつつあると主が言われた。始まってからまだ3ヶ月のハウスチャーチだが、すでに3つ目。これは人の働きではない。

聖書の中では、神の御国の種は農夫が眠っている間に成長すると書かれているが、まさにそんな感じ。私は何もしていないのだが、勝手に主がひとり一人の人生の中で働きを進めておられる。


神の国は人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」 マルコ4:26~27


主よ。あなたの働きに関わらせていただいて、ありがとうございます。


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