第三の波 特徴 その2~4
特徴 その2
ユニークな体験を感じさせる霊的な言葉使いが回復している。
エペソ書1~3章に出てくる言葉が、こんにちのクリスチャンたちの間ではほとんど聞かれなくなってきている。そこに登場する言葉は、思いから出てくる言葉だ。そしてその思いは、見えないものを見る力であり、時という制限を超えた天における現実を、地上における現実として宣言する力である。単に教義的、神学的な現実ではなく、体験的な現実として宣言している。この霊的現実を表す言葉使いが、第三の波の中で回復している。
特徴 その3
集会が、一つの崇高な目的のために行なわれている。
その目的とは、教会(注:建物ではなく信者のこと)の内側に住みたもう生けるキリストを現すこと。第三の波の特徴は、形式ばった集会や説教ではない。牧師あるいは司祭によって導かれる礼拝でもない。聖書研究会でもない。典礼でもない。それは、生けるキリストが万人祭司制のみからだを通して表れ出ていることであり、そのみからだにおいては、敵の力が打ち砕かれて敗北しているということである。集会では、ひとり一人がキリストに従って機能している。この側面について、こんにちのキリスト教界ではほとんど知られていないが、第三の波の中においては、その側面が確実に表れている。
特徴 その4
兄弟姉妹たちの考え方、生活、言葉使いが、徹底してキリスト中心。
第三の波の特徴として、キリスト中心ということが挙げられる。キリストが、本来あるべき位置を取り戻している。すべての中心、最高位、卓越といった地位をキリストが占めている。
このキリスト中心性は、会話の中に表れている。(これこそ、初代の信者たちがクリスチャンと呼ばれるようになった所以である。彼らはいつもキリストのことを話していた。)また、このキリスト中心性は、歌の中や奉仕の中にも表れている。
「私たちのメッセージはキリストです。」
もっとましな人間になることではなく、もっとたくさん奉仕することでもなく、何かをもっと上手くやることでもなく、善良な人間になることでもない。主イエス・キリストから来る啓示と、主を深く知るための実際的な助けである。教会の働きを含め、すべてがそこから流れ出てきている。
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ユニークな体験を感じさせる霊的な言葉使いが回復している。
エペソ書1~3章に出てくる言葉が、こんにちのクリスチャンたちの間ではほとんど聞かれなくなってきている。そこに登場する言葉は、思いから出てくる言葉だ。そしてその思いは、見えないものを見る力であり、時という制限を超えた天における現実を、地上における現実として宣言する力である。単に教義的、神学的な現実ではなく、体験的な現実として宣言している。この霊的現実を表す言葉使いが、第三の波の中で回復している。
特徴 その3
集会が、一つの崇高な目的のために行なわれている。
その目的とは、教会(注:建物ではなく信者のこと)の内側に住みたもう生けるキリストを現すこと。第三の波の特徴は、形式ばった集会や説教ではない。牧師あるいは司祭によって導かれる礼拝でもない。聖書研究会でもない。典礼でもない。それは、生けるキリストが万人祭司制のみからだを通して表れ出ていることであり、そのみからだにおいては、敵の力が打ち砕かれて敗北しているということである。集会では、ひとり一人がキリストに従って機能している。この側面について、こんにちのキリスト教界ではほとんど知られていないが、第三の波の中においては、その側面が確実に表れている。
特徴 その4
兄弟姉妹たちの考え方、生活、言葉使いが、徹底してキリスト中心。
第三の波の特徴として、キリスト中心ということが挙げられる。キリストが、本来あるべき位置を取り戻している。すべての中心、最高位、卓越といった地位をキリストが占めている。
このキリスト中心性は、会話の中に表れている。(これこそ、初代の信者たちがクリスチャンと呼ばれるようになった所以である。彼らはいつもキリストのことを話していた。)また、このキリスト中心性は、歌の中や奉仕の中にも表れている。
「私たちのメッセージはキリストです。」
もっとましな人間になることではなく、もっとたくさん奉仕することでもなく、何かをもっと上手くやることでもなく、善良な人間になることでもない。主イエス・キリストから来る啓示と、主を深く知るための実際的な助けである。教会の働きを含め、すべてがそこから流れ出てきている。
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