ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

イエスが喜んだもの

ジョン・パイパーによるデイリーデボ-ションを訳してみました。彼の深い洞察をお楽しみください。


エスが喜んだもの
 
ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。(ルカ1021
 
 この聖句は、四つの福音書の中で、イエスが喜んだと書かれている二箇所のうちのひとつです。七〇人の弟子たちが伝道旅行から帰ってきて、働きが成功したことをイエスに報告した直後の場面です。
 
 21節でルカは、ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした(訳注)」と書いてます。
 
訳注・・・原文で使われている英語聖句では、「みこころにかなったことでした」の部分が「あなたの喜ばれることでした」と訳されている。
 
 三位一体の三位格がみな喜んでいることに注目してください。イエスが喜んでいますが、それは聖霊にあってであると書かれています。イエス聖霊に満たされ、聖霊によって喜んでいたのです。そして聖句の最後のところでは、父なる神も喜んでいたと書かれています。
 
 それでは、三位格全員が喜んでいたものとは何でしょうか。それは、神の愛に見られる選択の自由を喜んでいたのです。神は知的エリートには隠し、幼子たちには啓示するという選択的な愛を示しています。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました」とあるとおりです。
 
 では父なる神が一部の人たちには隠し、他の人たちには啓示するものとは何でしょうか。22節に答えがあります。「子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。」つまり御子の正体を啓示するのは、父なる神のなさることだということです。
 
 七〇人の弟子が伝道旅行から戻り、イエスに報告したとき、イエス聖霊は、父なる神がみこころに従って、幼子たちには御子を啓示し、知恵ある者たちには隠しました。
 
 ここで重要なのは、神が特定の階層の人々を選ぶということではありません。神には、恵みを受けるに値しそうもない人々を選ぶ自由がある、ということです。
 
 神の選びは、人間の功績とは一致しないのです。知恵ある者には隠して、功績のない弱い者たちには啓示するのですから。
 
 父なる神が、恵みに頼るしかない人々に対して、啓示と救いを値なしに注いでいるのを見たイエスは、聖霊にあって心が高揚し、御父の選びを喜んだのです。