ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

使徒や預言者を教会のリーダーにすべきか? その1


 カリスマ・ペンテコステ派では、エペソ220あなたがたは使徒預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です」を誤解し、使徒預言者を地域教会の土台(リーダー)にすべきだという見解が広がっています。しかし、そもそもこの聖句がそういう意味かをどうかを検証する必要があります。
 
●疑問1
パウロがエペソ2章で述べているのは地域教会のことか、それとも公同の教会/普遍的教会のことか?
 
 
エペソ21120
11ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
20 あなたがたは使徒預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。  
 
●注 地域教会と普遍的教会の違い
 
地域教会」とは、例えば「○○キリスト教会」とか「○○チャペル」など、目に見える形で存在している信者の群れのこと。このため「可視的教会」とも呼ばれる。ここにはクリスチャンと告白していても、実際は救われていない名ばかりの信者(未信者)も含まれる。ひとつ一つの地域教会は、時間がたつと存在しなくなったり、メンバーが入れ替わる。
 
公同の教会」あるいは「普遍的教会」とは、2千年前のペンテコステに教会が誕生してから今日に至るまで、すべての時代、すべての国々、すべての民族の中でキリストを信じて救われたクリスチャンの総体。使徒パウロや十二弟子のようにキリストを信じて亡くなり、天国に行っている信者も含まれる。このため「不可視的教会」とも言われる。この教会のメンバーは時間がたつにつれて増加し、減ることはない。
 
●検証1
 パウロは上記の箇所で、二つのグループだった人々が一体になったことについて述べている。二つのうちの一つは、「あなたがた」と呼ばれているクリスチャン。この人たちは狭い意味では当時のエペソ教会のクリスチャンだが、広い意味では「異邦人クリスチャン」を指しており、この中には現代の私たち日本人クリスチャンも含まれる。
 
 もう一つのグループは、「イスラエル」とか「聖徒たち」と呼ばれている人たちで、ユダヤ人のこと。ローマ11章に書かれている通り、イスラエル人は今はレムナント(一部の残りの民)を除いて頑なにされているが、キリストの再臨直前に民族として悔い改め、救われる。
 
新しいひとりの人」「一つのからだ」「国民」「神の家族」と呼ばれているのは、ブルーとピンクのグループを一つに合わせたもの。すなわち、
 
救われたイスラエル人+救われた異邦人=公同の教会(普遍的教会)
 
 
●結論1
 エペソ2章で述べられているのは地域教会ではなく、公同の教会のこと。しばしばカリスマ・ペンテコステ派では地域教会と誤解している。この間違いは小さなものではなく、地域教会と普遍的教会の違いと同じ大きさの間違いである。