ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

第一に使徒、次に預言者?? その3

 その1では、神の国には権威による支配や階級制度があってはならないことを聖書から理解しました。
 
 その2では、しかしそれは霊的権威そのものを否定するものではなく、新約の教会の霊的権威は御心や役割に応じて、適宜、流動的に働くものであることを理解ました。
 
 この記事では、それらを踏まえた上で第一コリント12:28の意味を考え、以下の疑問に答えを出します。
 
●疑問
 カリスマ・ペンテコステ派の中には、第一コリント12:28は、地域教会における権威の順番を述べているのだと教える人たちがいます。その方々は、「だから教会の指導的な立場には牧師や教師、伝道者ではなく、使徒預言者が立つべきだ」と言います。果たしてその教えは正しいのでしょうか。
 
第一コリント12:25~30
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです
29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
30 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。 
 
●解説
 以下の参考文献をもとに、28節の意味を説明します。
 
参考文献:
1)ゴードン・フィーの第一コリント人への手紙コメンタリー
2)マッカーサー・バイブル・コメンタリー(The MacArthur Bible Commentary)
3)Scripture 4 AllのOnline Greek Interlinear Bible
4)Studylight. orgのOld & New Testament Greek  
 
「任命する」と訳されているギリシャ語ティセミの意味は「置く」です。英語のギリシャ語辞典ではplace、set、lay、putなどと訳されています。
 
②「人々」と訳されているのは、英語のwhomに当たるギリシャ語の複数形です。そこでゴードン・フィーは、28節の最初の部分を次のように直訳しています。
 
「And those whom God has placed in the church (are)」/「そして神が教会の中に置いた人々は」
 
 「第一に」の原語プロトンは、時間的あるいは場所的に「最初の」を意味します。「次に預言者」の「次に」はデューテロスで、順番や時間において「二番目の」を意味します。「次に教師」の「次に」はトゥリトスで、「第三に」という意味です。
 
 「奇蹟を行う者」は、原典ではデュナミス(力)の複数形だけしか書かれていません。第一コリント12:10の「奇蹟を行なう力」の部分も、28節と同じで「奇蹟」(複数形)しか書かれていません。「力」の複数形だけだとわかりにくいため、新改訳聖書は「行う者」を追加したのでしょう。そういうわけで、パウロが28節で述べているのは賜物のことで、人のことではありません。
 
いやしの賜物を持つ者」は原典において、カリスマ+イアマー(癒やし)の複数形しか書かれていません。「持つ者」は書かれておらず、12:9の「いやしの賜物」と全く同じ表現です。それゆえ、これも人のことではなく、賜物そのものをパウロは述べていると考えられます。
 
 「助ける者」も原典では「助け」を意味する名詞の複数形だけ、「治める者」も「治めること」を意味する言葉の複数形のみしか書かれていません。よってパウロ奉仕の内容を意味していると思われます。
 
 「異言を語る者」は、「種類」(複数形)+言語(複数形)と書かれており、「語る者」は書かれていません。これも賜物あるいは役割のことを述べていると思われます。
 
 使徒預言者、教師などについてはエペソ4:11にも述べられていますが、エペソ4:8で「賜物を分け与えた」とあることから、これらの人々自体が教会に与えられた賜物であるとか、人そのものよりもその人の働きに重点が置かれていると言われています。
 
 これらのことからゴードン・フィーは、28節でパウロが述べているのは、人に与えられた権威の序列ではなく、教会の設立や建て上げで必要となる働きの順番だと結論づけています
 
 
 またマッカーサーの見解を参考にすると、次のようなことが言えます。
 
 
使徒2:41~42
41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
 
 上記の箇所は、ペテロの説教を通して史上最初の教会が誕生した箇所です。ここから
教会の誕生は使徒の言葉によった(エペソ2:20、3:5参照)
教会の「教義」は使徒が教えたことがわかります。
 
 つまり「第一に」というのは権威が一番上という意味ではなく、教会の設立において一番最初に用いられたり、最も重要な役割を果たした働きだという意味であることがわかります。この意味でパウロは、神は「第一に使徒」を置いたと、言っているのです。
 
●結論
 第一コリント12:28は、霊的権威の序列ではなく、教会の設立や成長のために神が用いた順番や重要度を述べているのです。
 
 この結論は、28節の前後の脈絡を見ても妥当です。28:12以降でパウロは、賜物の働きをからだの器官にたとえ、その多様性と調和について語り始めます。たとえを用いた多様性と調和のテーマは、27節まで続いています。
 
 そして29節と30節では、「みなが~でしょうか」というレトリックを繰り返しています。その答えはすべて「いいえ」で、働きが人によって多様であることを述べています。従って28節だけが権威の話になるというのは、あまりにも不自然で、解釈に無理があります。

 加えて、その1で学んだように、教会には階級制度があってはなりません。権威の上下関係が教会内にあってはならないのです。
 
●まとめ
 第一コリント12:28は、権威の順番については述べていません。ですからどこかの教会の主任牧師が使徒預言者でないとしても、問題はありません。その教会に神が導いた人がリーダーであるなら、それでよいのです。
 
 逆に、間違った解釈に囚われて、使徒預言者を人間的にリーダーにしてしまうなら、神の導きに反することになるのです。

 カリスマ・ペンテコステ派に流行っている間違った教えには、注意しなければなりません。惑わされて、間違った人をリーダーとすることがないようにしましょう。

おわり