現代の「ヤンネとヤンブレ」 ~センセーショナリズムに走る人々~
第二テモテ3:8に出てくる「ヤンネとヤンブレ」とは、どのような人物でしょうか。
二人の名前はタルムードにも登場します。タルムードによれば、二人はイスラエルの民とともに出エジプトしましたが、シナイ山の麓でイスラエルの民が金の子牛を作って偶像崇拝したとき、それを先導したのがこの二人だったと記しています。
●終末のセンセーショナリズムの特徴
いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。(第二テモテ3:7~8)
さて上記の箇所でパウロは、テモテに「終わりの日」の話をしています。
特徴1
「ちょうど~のように」と訳されているギリシャ語フートウは、「~と同じ方法で」という意味の副詞です。
またビブリカル・トレーニングというサイトによれば、「ヤンネとヤンブレ」という名前の意味(推定)は、それぞれ「誘惑する者」と「逆らわせる者」です(注)。
終末には、しるしと不思議によって神の民を誘惑し、真理に逆らわせる者たちが登場するということです。
特徴2
またパウロは、別の特徴も説明しています。
「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。」(5節)
「見えるところは敬虔であっても」とあることから、この人たちは表面上は敬虔なクリスチャンのように見えることがわかります。
特徴3
「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち」(7節)
「学んで」の部分には、マンサノーという言葉が使われています。この言葉には、「聞く」「情報を受ける」という意味もあります。
あるいは
多くのスピリチュアルな信仰書を読んでいるかもしれません。
ところが「真理を知る」ことができないのです。
●どう説明するのか?
警鐘を徹底させるために、もう一度デイビッド・テイラーを例に挙げます。
彼のメッセージは少し前に日本のキリスト教雑誌に掲載されましたが、今回は日本語で著書も発行されました。
しかし第一テモテ6:15~16にこう書かれています。
「神は・・・近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。」
神の言葉がこう言っている以上、デイビッド・テイラーが偽りを言っていることは明らかです。
にもかかわらず、彼や彼と似たような人々を信奉するクリスチャンがいることは驚きです。一体彼らは、上記の御言葉をどう説明するのでしょうか?
●警鐘
神を知ることよりも霊的センセーショナリズムを追い求める人たち。聖書の真理よりも持論を優先する説教者。
パウロはそのような人たちについてこう述べています。
「彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。」(第二テモテ3:8)
パウロは非常に厳しい言葉を使っています。
それほど真摯に受け止めるべきことなのではないでしょうか。
私たちは目を覚まさなければなりません。すでに「終わりの日」の中にいるからす。