ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

現代の「ヤンネとヤンブレ」 ~センセーショナリズムに走る人々~

 第二テモテ38に出てくる「ヤンネとヤンブレ」とは、どのような人物でしょうか。
 
 ユダヤ人の伝承によれば、エジプト王パロがモーセとアロンに対抗させた魔術師のことです(出エジプト711参照)。彼らは、悪霊の力によって多くのしるしと不思議を行い、神とその真理に対抗しました。
 
 二人の名前はタルムードにも登場します。タルムードによれば、二人はイスラエルの民とともに出エジプトしましたが、シナイ山の麓でイスラエルの民が金の子牛を作って偶像崇拝したとき、それを先導したのがこの二人だったと記しています。
 
      
 
●終末のセンセーショナリズムの特徴
 
いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。(第二テモテ378
 
 
 さて上記の箇所でパウロは、テモテに「終わりの日」の話をしています。

  終末の時代には「ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らう」者たちが出てくると予告しています。

 
特徴1
 
 「ちょうど~のように」と訳されているギリシャ語フートウは、「~と同じ方法で」という意味の副詞です。
 
 ですからパウロが「こういう人々」と呼んでいる人たちは、ヤンネとヤンブレのように、しるしと不思議を行うことによって、真理に逆らうのです。
 
 
 またビブリカル・トレーニングというサイトによれば、「ヤンネとヤンブレ」という名前の意味(推定)は、それぞれ「誘惑する者」と「逆らわせる者」です(注)。

 
 終末には、しるしと不思議によって神の民を誘惑し、真理に逆らわせる者たちが登場するということです。
 
 

特徴2
 
 またパウロは、別の特徴も説明しています。
 
見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです」(5節)
 
「見えるところは敬虔であっても」とあることから、この人たちは表面上は敬虔なクリスチャンのように見えることがわかります。
 
  
特徴3
 
いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち」(7節)
 
 「学んで」の部分には、マンサノーという言葉が使われています。この言葉には、「聞く」「情報を受ける」という意味もあります。
 
 ですから彼らは、キリスト教に関していろいろな情報をいつも聞いている人でもあります。ある意味、熱心な人たちだということです。
 
 彼らはいろいろな集会に足を運んで、にせ教師やにせ預言者メッセージを聞いているのかもしれません。
 
 あるいは
 
 多くのスピリチュアルな信仰書を読んでいるかもしれません。
 
 ところが「真理を知る」ことができないのです。
 
 
●どう説明するのか?
 
 警鐘を徹底させるために、もう一度デイビッド・テイラーを例に挙げます。
 
 彼のメッセージは少し前に日本のキリスト教雑誌に掲載されましたが、今回は日本語で著書も発行されました。
 
 このデイビッド・テイラーは、このブログの「偽使徒来日」で述べたとおり、「天国に行って神を見た」「イエスから神に紹介された」と公言している人物です。
 
 
 しかし第一テモテ61516にこう書かれています。
 
神は・・・近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのないまた見ることのできない方です
 
 
 神の言葉がこう言っている以上、デイビッド・テイラーが偽りを言っていることは明らかです。
 
 にもかかわらず、彼や彼と似たような人々を信奉するクリスチャンがいることは驚きです。一体彼らは、上記の御言葉をどう説明するのでしょうか?
 
 
●警鐘
 
  神を知ることよりも霊的センセーショナリズムを追い求める人たち。聖書の真理よりも持論を優先する説教者。
 
 パウロはそのような人たちについてこう述べています。
 
 「彼らは知性の腐った、信仰の失格者です」(第二テモテ38


 パウロは非常に厳しい言葉を使っています。

 それほど真摯に受け止めるべきことなのではないでしょうか。
 
 私たちは目を覚まさなければなりません。すでに「終わりの日」の中にいるからす。