ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ビル・ジョンソンが一線を越えた理由 その3

 前回は、ビル・ジョンソンが聖書の記述にないことでも、神の働きとして受け入れてよいと暗示していることを説明しました。この記事では、ビル・ジョンソンの説明の続きを検証していきます。 
 
Knowledge puffs up ...25 Notice Paul didn't say unbiblical knowledge, or carnal knowledge. Knowledge, including that which comes from Scripture, has the potential to make me proud. So how can I protect myself from the pride that comes from knowledge, even when it's from the Bible? I must be certain that it takes me to Jesus!(「天が地に侵入するとき」原文P90より抜粋
 
知識は人を高ぶらせます」(第一コリント81)。パウロが、聖書以外の知識と言っていないことに注目してください。聖書から来る知識を含めて、知識は私を高ぶらせる可能性があるのです。聖書の知識すら私を高慢にするのであれば、私はどのようにすれば自分を高慢から守ることができるのでしょうか。確実なのは、イエスのところに行くことです!(強調はダビデ

 
●知識をつけることは悪か
 
 ビル・ジョンソンは上記の文章の中で、あたかも聖書知識をつけることが悪いことであるかのような暗示を与えています。
 
 しかし実際は、高ぶってしまう肉の性質が悪なのです。
 
 パウロはビル・ジョンソンとは逆のことを祈っています。
 
どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように」(コロサイ119)

 またパウロは、コリントのクリスチャンに以下のように述べ、よく考えた上で信じるべきであることを教えています。
 
もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。(第一コリント15:2)
  
 
●伝統的な聖書解釈の否定
 
 上記の文章の中では神学に言及していませんが、ビル・ジョンソンの説教を聞いていると、伝統的な神学が嫌いだと公言しています。
 
 するとベテル教会の会衆の中からは声援が沸き起こります。
 
 通常、神学を軽視する人は神学を学んだことがなく、それがどれほど聖書理解の助けとなるかを体験したことがありません。
 
 霊的な体験をして、力のわざを行いさえすれば、それが神との親しさを現していると誤解しています。
 
 しかしビル・ジョンソンの場合は、通常のケースとは違います。
 
 彼の本を読んでいると、彼の表現と注解書の英語表現がそっくりなことに気づきます。つまり彼は注解書を読んでいるのです。
 
 しかしビル・ジョンソンの弱さは、伝統的な聖書解釈を知りながらも、意図的にそれを嫌い、あえてそれとは違う聖書解釈に走ってしまうことです
 
  彼が伝統的な神学から逸脱する口実にしているのが、先日ご紹介したビデオで述べている「イエスは完璧な神学だ」という概念です。
 
 上記の抜粋の最後のところでも、「確実なのは、イエスのところに行くことです!」と言っています。
 
 しかしそれは、自己流の聖書解釈をすることを意味しているのです。 
 
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。(第二ペテロ120
 

●私的解釈の結末

 ペテロは、こうも教えています。
 
主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」(第二の手紙13
 
 私的解釈を行った結果、ビル・ジョンソンは「主イエスの、神としての御力」を否定すれば、奇蹟を行うための励みになるという結論に至りました(注)。

 彼にとっては、イエスの神性を保つことよりも、持論を押し通すことのほうが重要だったのです。

 しかし使徒ペテロは、敬虔な生活に必要なすべてを与えるのは「主イエスの、神としての御力」だと言っています。
 
 まったく逆の主張です。どちらが正しいのでしょうか?

 聖書の私的解釈は、聖書とまったく逆の教えを生み出すこともあるのです。



 注・・・「イエスの神性を否定 その2」のビデオナレーション参照。


●おわりに

 世界的に人気のある働き人の巧妙な言葉に踊らされてはなりません。人気があることと、本当に神に用いられるととは、似て非なるものです。
 
 私たちは、人気を博している働き人の言葉の裏にある真意を見抜く必要があります。彼らの言うことを、お祭り騒ぎの題目にしてはならないのです。