ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ブラナムについて思うこと



 
 ウイリアム・ブラナムの記事を書いて、私が感じたことを書かせてください。

 当時、ブラナムの名は、そのしるしと不思議のゆえに世界を揺るがした、と言われています。
 
 しかしその後、彼がどうなったかを見るときに思わされるのは、

 しるしと不思議が行えるからといって、その人が神の人であることの証明にはならない、
 
 夢や幻を頻繁に見るからといって、それが神によるものとは断定できない、
 
 霊的存在の訪問を受けても、それが神から遣わされたものとは限らない、
 
ということです。
 
 
彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。(コロサイ21819
 
 
 パウロの時代にも、にせ教師、にせ預言者がいました。
 
 彼らには幻が与えられましたが、彼らの問題点は「かしらに堅く結びつくこと」をしなかったことです。
 
 また彼らの教えは神のものではありませんでした。
 
 しるしと不思議が伴っても、あるいは幻や夢が与えられたとしても、

 その人の語ることが正しいとは限らないということです。
 
 超自然的なわざと、教えはわけて考えるべきです。
 
 あたりを見回せば、現代もこの原則はまったく同じではありませんか。
 

 次回の記事では、

 ベテル教会で霊的惑わしを実体験し、それから解放された人の証をお伝えします。