ブラナムについて思うこと
ウイリアム・ブラナムの記事を書いて、私が感じたことを書かせてください。
当時、ブラナムの名は、そのしるしと不思議のゆえに世界を揺るがした、と言われています。
しかしその後、彼がどうなったかを見るときに思わされるのは、
しるしと不思議が行えるからといって、その人が神の人であることの証明にはならない、
夢や幻を頻繁に見るからといって、それが神によるものとは断定できない、
霊的存在の訪問を受けても、それが神から遣わされたものとは限らない、
ということです。
彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。(コロサイ2:18~19)
彼らには幻が与えられましたが、彼らの問題点は「かしらに堅く結びつくこと」をしなかったことです。
また彼らの教えは神のものではありませんでした。
しるしと不思議が伴っても、あるいは幻や夢が与えられたとしても、
その人の語ることが正しいとは限らないということです。
超自然的なわざと、教えはわけて考えるべきです。
あたりを見回せば、現代もこの原則はまったく同じではありませんか。
次回の記事では、
ベテル教会で霊的惑わしを実体験し、それから解放された人の証をお伝えします。