「私はキリストにつく」の意味 1コリント1:12の考察 その1
こんにちの教団・教派の分裂の原因は、おおむね教理上の違いによるものですが、
コリント教会の場合はそうではありません。
パウロ書簡とペテロの手紙の教えに矛盾がないように、
キリストによって任命された使徒たちの間に、教理上の矛盾はありませんでした。
では、どういう理由で、コリント教会は分派を起こしていたのでしょうか。
●ワードスタディ
「~につく」と訳されている部分のギリシャ語はどれも、
パウロ、アポロ、ケパ、キリストを指す一つの名詞だけです。
しかしそれらが所有格で使われているため、
「~のもの」という意味が生まれてきます。
ですからコリントのクリスチャンたちは、
「私はパウロのもの」
「私はアポロのもの」
「私はペテロのもの」
「私はキリストのもの」と言って、「仲間割れ」していたことになります。
●「~のもの」の問題点
ゴードン・フィーの注解書「The First Epistle To The Corinthians」とニュー・リビング・トランスレーション・スタディーバイブル(NLT)を参考にして、「~のもの/~につく」の問題点を考察します。
①1:13~15
この箇所でパウロは、自分がコリントの信者に洗礼を授けなくてよかった、と言っています。
15節では
と言っており、
教会内で派閥が生じることを予想して、それをあえて避けたと言っています。
このことから、分派の原因は、
誰が洗礼を授けたか、ということとは無関係であると思われます。
②3:4~6
この箇所を見ると、
「私が植えて、アポロが水を注ぎました」(6節)とパウロは言っています。
ア)コリント教会は、パウロが開拓伝道して誕生した教会です。
少なくとも福音と基本教理は、パウロから学びました。
イ)しかしアポロが教会の建て上げに貢献しました。
使徒18:27に、アポロがコリント教会のあったアカヤ地方に行き、
「信者になっていた人たちを大いに助けた」とあり、
使徒19:1を見ると、
アポロがコリント教会にしばらくとどまり、聖書を教えたことがわかります。
これらを合わせて考えると、コリント教会の信者たちは、
自分の霊的な知識は誰から受け継いだものかという点で、
「私は~のもの」と言い争っていたことがわかります。
言い換えると、
誰が自分の信仰の師なのか
誰が自分の霊的メンターなのか、という点で分裂していたのです。
パウロやアポロ、ペテロらは、初代教会では有名な働き人でした。
コリントの信者たちは、自分を有名人に投影することにより誇っていた、
ということです。
現代の教会や教団内で、
「私は、かの有名な○○先生から信仰を学んだ」
などと言って自慢するような感じです。
ちなみにペテロの名が登場している理由についてですが、
彼がコリントの教会で、どのような奉仕をしたかは不明です。
ただ9:5でパウロが、
と言っていることから、
ペテロがコリント教会を巡回した可能性は高いと考えられます。
コリントのクリスチャンはペテロを誇った、と説明しています。
●「キリストのもの」
では「キリストのもの」というのはどういことなのでしょうか。
「私はキリストのものだ」ということの、どこに問題があるのでしょうか。
NLTとゴードン・フィーの注解書の両方で共通している結論は、こうです。
パウロ派でもなく、アポロ派でもなく、ペテロ派でもない人たち、
彼らよりも、自分たちはもっと聖いと誇っていた人たちがいた、ということです。
自分たちは霊的エリートだから、
単なる人間の指導者につくのではなくキリストにつく、
と誇っていた人たちがいた
この理解が、
もっとも長期間、
もっとも多くの人から信頼されている解釈だそうです。
そう理解すると、パウロがキリスト派をも叱責したことに筋が通ります。
つづく