「私はキリストにつく」の意味 1コリント1:12の考察 その3
その2では、現代の私たちも「キリスト派」になる危険性があることを述べました。
この記事では、現代のグノーシス主義について説明します。
●現代のグノーシス主義
カリスマ・ペンテコステ派の中で広まっている非聖書的な教えは、
福音派の場合とは生み出される行程が違います。
福音派において代表的な教義的間違いといえば、終焉説です。
聖書の完成に伴い、あるいは最後の使徒の死に伴い、
神による超自然的なわざは終焉した、という考えです。
この終焉説の場合、
それなりの聖書的根拠があってそういう結論に達しいています。
しかしカリスマ・ペンテコステ派における間違いの場合は違います。
ひとつの聖句だけを取り出してそれを曲解したり、
まず説教者や著者の持論が先に存在していて、
それに聖句をこじつけることにって、
あたかも聖書の教えのように見せかけています。
後者の場合、もはや聖書解釈とは言えません。
これはグノーシス的概念のご飯の上に、
聖句というふりかけをかけて、
「さあ、お食べ」と差し出しているようなものです。
●グノーシス主義とは
グノーシス主義とは2世紀頃に生まれて3世紀頃には教会を悩ませた発想形態で、
①物質=悪 霊=善 という二元論と
②「より高い知識」と呼ばれ、一部の人にだけわかる真理の知識
の2つから構成される考えです。
カリスマ・ペンテコステ派に出回っている異説は、
実質的に②の発想と同じです。
しるしや不思議を追いかけている人たちにとっては、
大教会の牧師だとか、有名な預言者だとか、
しるしと不思議が伴う使徒と呼ばれる人が、
キリストの名によって語る教えなら何でもいいのです。
難しいことは言わずに盲目的に信じる、それが彼らのメンタリティーです。
しかし聖書はそう教えていません。
ヨハネが第一の手紙を書いた理由は、
彼の存命中に、グノーシス主義の影響が教会に入り始めたからだと言われています。
上記の聖句の「試しなさい」という言葉は、ドギマゾーというギリシャ語です。
ドギマゾーには「試験の後に本物だと認める」という意味があります。
ですから聖書的な信じ方というのは、
まず教えの内容を精査して、
本物だとわかってから信じる信じ方なのです。
つづく