ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「私はキリストにつく」の意味  1コリント1:12の考察 その4


 その3では、カリスマ・ペンテコステ派にしばしば見られるグノーシス的な聖書解釈にについて述べました。

 この記事では、独りよがりの信仰に陥らないための方法を紹介します。

 
●私的解釈
 
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。(第二ペテロ120
 
 
 この言葉の大事なところは、「私的解釈を施してはならない」という部分です。
 
 「私的」の部分はイディオスという言葉で、
 
 「自分独自の」「自分自身に属する」という意味の形容詞です。
 
 「解釈」は、エピルシスという言葉で「ひも解く」というのが原義です。
 
 「施す」と訳されている部分は、「~になる」という意味の動詞です。
 
 直訳すると、「自分独自の解釈になってはいけない」ということになります。
 
 
 ですからカリスマ・ペンテコステ派で横行している聖書箇所の曲解は、
 
 この御言葉の真逆をいっていて、
 
 文字通り、自分独自の解釈になってしまっているわけです。
 
 まるで聖句の意味が何通りもあるかのような状況です。
 
 
 しかし実際は、真理はひとつしかありません。
 
 112
 
 これ以外の答えはありません。
 
 
 私的解釈をしてはならず、しかも聖句の意味がひとつだけなら、
 
 そのひとつだけしかない意味を、どのようにして捉えればいいのでしょうか。
 
 
●端末があればできる方法
 
 ここでは、牧師がやるような難しい聖書研究の仕方ではなく、
 
 端末さえあれば、誰でもできる方法を書こうと思います。
 
 すでに多くの人が実践していることかもしれませんが、念のため。
 
 
①聖書箇所の意味を知りたいとき
 
 聖書箇所をGoogleに入力する
 
 大抵、誰かがその個所の意味を説明するウエブを公開しているので、
 
 複数のウエブを開けば意味はわかるはずです。
 
 
②聖句の箇所がわからないとき
 
 Googleを開いて覚えている範囲でキーワードを入力する
 
 たとえば、ヨハネ146を見つけたいとします。
 
 道、真理、いのちを入力してググれば、
 
 ヨハネ146を引用しているウエブが出てくるので、
 
 ヨハネ146であることがわかります。
 
 
③聖書や信仰に関する疑問の答えを知りたいとき
 
A.その疑問をGoogleに入力する

 
B.ゴット・クエスチョンで調べる  http://www.gotquestions.org/Japanese/
 
このサイトに行き、検索欄に質問を入力する

 
C.中川健一先生に聞く 

   「聖書入門ドット・コム」http://seishonyumon.com/question/

 
 ①日本人の聖書教師では屈指のハイレベル 
 
 ②神学的にもバランスが取れている

 
 特にローマ書のビデオはいいですよ。
 
 カリスマ・ペンテコステ派の教会では絶対聞けない教えを聞きたい人は、
 
 以下のビデオだけだけでも聞きましょう。
 

 
●反面教師
 
 以下は「天が地に侵入するとき」の10章から抜粋したものです。
 
Someone once brought a book to my office that was critical of the revival that started in Toronto in January of 1994. I refused to read it and threw it away. (原本P110より抜粋)
 
かつて誰かが私の執務室に、19941月にトロントで始まったリバイバルに批判的な本を持ってきました。私はその本を読むことを拒絶し、捨て去りました
 
 
 私たちは逆の意味で、ビル・ジョンソンの姿勢から学んでいきましょう。