御霊の人の証明 その1
パウロは第三の天に行くという体験をしました。
現代においても天国に行ったと証する人がいます。
キリストや天使の言葉を聞きました。
こんにちにおいても、
霊的体験の中でキリストや天使の言葉を聞いたと証する人がいます。
体験の内容についてではなく、
体験を証するという行為
この行為は、そもそもどの程度、聖書的なのでしょうか。
この記事では、それを考えたいと思います。
●こんにちとの比較
パウロはあるとき、「幻と啓示」を与えられました。
その幻の中で第三の天に行きます。
そして啓示の素晴らしさのゆえに、高ぶることがないように肉体にとげを与えられます。
パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。
また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。(第二コリント12:4、7)
こんにちの場合、天国や地獄などの幻や夢を見た人たちは、
「証」の名のもとにそれを公にします。
ネット上に公開する人もいれば、本に書く人、
海外ではTV番組に出演する人もいます。
大抵の場合、その体験の中では天使やイエスとの会話があり、
その内容も公開されます。
この、会話の内容が公開されるという点で、
パウロも幻の中で第三の天に行ったとき、言葉を聞いています。
しかしパウロの場合、その言葉の内容は一切語られていません。
「人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことば」
だったからです。
聞いた言葉を聖書という形で公にしているので、
体験の中で聞いた言葉を証したからといって、
必ずしも非聖書的とは言えません。
もうひとつ腑に落ちない点は、
体験の内容が本当に素晴らしいものであるなら、
パウロのように、
「肉体のとげ」が与えられるのではないでしょうか。
しかし現代の場合、
体験者に「肉体のとげ」が与えられたという話は聞いたことがありません。
彼らはパウロと違って余りにも謙遜なので、
肉体のとげは必要ないのでしょうか。
ただしこの場合も、
肉体のとげが与えられていないから、体験が偽物だと断定することはできません。
ただ、はっきりと言えることがあります。
こんにちの夢や幻の中で聞いた言葉や目撃した内容は、
大して重要ではない、ということです。
重要な内容だったので聖書になりました。
こんにち与えられる霊的体験や啓示は、
それなりの意味はあるとしても、
大して重要ではないことに変わりはありません。
すべてのクリスチャンにとって重要なことは、
すでに聖書に書かれているからです。
つづく