ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「7つの山」の誤り  その2


 
 その1では「7つの山」という教えの概説を掲載しましたが、この記事ではその概念の根本的な誤りを見ていきます。 
 
 
1.神の国はメシアが実現する
 
 まずイザヤ22の正常な解釈を見ておきましょう。
 
                   (参考文献:ニュー・リビング・トランスレーション・バイブル)
 
終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れてくる。」
 
 
 「終わりの日」とは、旧約聖書においては「将来」を意味する表現ですが、新約聖書では、キリスト来臨以降の時代を指しています(へブル12。具体的には、この時代の終わり間際を指しています(第二ペテロ33)。
 
 「主の家の山」とは、第一義的にはエルサレム神殿の丘のことですが、比ゆ的には、王としての神の王座や統治、さらには地上における神の国を意味します。
 
 「そびえ立ち」は、イザヤ61に書かれている幻のように、神の王座が高く上げられている状態を表現したものです。
 
 イザヤは、主の支配がユダやエルサレムをはるかに超えて、イスラエルを取り囲む世界の国々に及ぶ幻を見ているのです。
 
 この聖句は、将来、メシアによって実現する神の国の統治を予告するもので、現代における文化や社会の支配とは何の関係もありません
 
 
●ウォルノーとビル・ジョンソン
 
 ランス・ウォルノーについては、ビル・ジョンソンとの関係をまず見ておきたいと思います。ウォルノーとビル・ジョンソンは、少なくとも2冊の書籍を共著しています。
 
「改革者の誓い」:8章が「7つの山の命令」
 
「バビロンを侵略せよ」:2章が「7つの山の命令」
 
 
 このブログを以前から読んでいる方は、ビル・ジョンソンと近い関係にあることを見ただけでも、ランス・ウォルノーの教えが問題のあるものだとお分かりになると思います。
 
 しかし彼の論理がいかに聖書からかけ離れているかを、具体的に見ていきましょう。
 
1.大宣教命令の歪曲
 
 ウォルノーは、「あらゆる国々に行く代わりに、社会機構に行くべきだ」と言っていますが、これは恐るべき歪曲です。
 
 マタイ2819でイエスは「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言っています。
 
 「国の人々」と訳されているのはエスノスというギリシャ語で、民族を意味しています。
 
 ですからイエスは「あらゆる民族」を弟子にするように命じているのです。 
 
 神が変えたいのは文化や社会ではなく、です。
 
 イエスが弟子にしたいのは社会や文化ではなく、です。
 
 それをウォルノーは別のものに置き換えているのですから、
 
 私としては「あなたは何様のつもりなのか」と問いたい。
 
 
 彼はクリスチャンが文化に影響を与えるべきだと教えていますが、
 
 皮肉なことに、彼自身がアメリカの合理主義に影響を受けすぎているようです
 
 
 この教えはイエス大宣教命令を否定しているのと同じことで、冒涜もいいところです。
 
 
2.福音の歪曲
 
 その1の記事には書きませんでしたが、ビデオの150からウォルノーは「御国の福音」と「救いの福音」が別のものだという説明をしています。
 
 社会や文化への影響をもたらすことを「御国の福音」と呼び、
 
 「救いの福音」は社会の変革を成し遂げることができなかった、と言っていますが、
 
 これはまったくの作り話です。
 
 聖書では「御国の福音」=「救いの福音」です。
 
 マタイ2414でイエス
 
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
 
 と言っています。
 
 この御言葉からわかることは、
 
 ①宣教の目標は「あらゆる国民」にあかしすることであって
 
  文化や社会構造に影響を与えることではない
 
 ②福音がすべての国民にあかしされたらキリストの再臨が起こる
 
  再臨は千年王国をへて、神の国の完成に直結するものです。
 
  つまり文化や社会の変革は、神の国の実現とは無関係だということです。
 
  社会の変革をもたらすところの「御国の福音」なるものは、
 
  聖書中には存在すらしないのです。
 
3.主権のすり替え
 
 「7つの山」の教えは、クリスチャンの手によって現代社会に神の国を創り出そうとする取り組みで、神の主権的計画に対抗する動きと言えます。
 
 以下の御言葉が示すとおり、神の国の実現は、人手によらず神ご自身が成し遂げるものです。
 
 すべてのを新しくするのは主ご自身であり、私たち信者ではありません。
 
ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた」黙示録196
 
私はまた、聖なる都、新しいエルサレム・・・神のみもとを出て、天から下って来るのを見た」(黙示録212
 
見よ。わたしは、すべてを新しくする。」(黙示録215
 
 
 
つづく