妄信と信仰の違い その3 ~癒やしの信仰~
信仰の領域にはいろいろありますが、
もっとも物議をかもすのは癒やしの信仰ではないでしょうか。
●残念な実例
私の知り合いに、ビンヤード・フェローシップの
コロラドスプリングス教会の牧会スタッフがいました。
ビンヤードは、アメリカのカリスマ派教会の代表的なグループです。
彼には知識の言葉の賜物が与えられており(第一コリント12:8)、
人々の隠れた事実が聖霊によってわかってしまう人でした。
あるとき彼の奥さんが乳がんになりました。
二人は信仰の人でしたが、カリスマ・ペンテコステ派的な意味でそうだったのです。
二人は医学的な治療を受け入れずに、神の超自然的な癒やしだけを期待しました。
しかし奥さんは癒やされることなく、家族を残して亡くなってしまいました。
●癒やしの信じ方の問題点
カリスマ・ペンテコステ派の信じ方の問題点は、
信仰に関して、聖書的な適用の仕方がわかっていないことです。
マルコ5:34に「あなたの信仰があなたを直したのです」と書かれている、
へブル13:8は
「だから信じさえすれば、必ず癒やされます!」と言って、
神が誰もかれも癒やしてくださると「思い込みます」。
これはピスチュオーやアマーンではありません。
しかし今は、癒やしの行い方が変わったのです。
マタイ8:16~17
カリスマ・ペンテコステ派では、上記の箇所を掲げて、
これは解釈の間違いです。
多くの人は
というマタイによる説明を見逃しています。
そうすることによってメシアであることを証する、という大切な目的があったからです。
マタイはユダヤ人の読者に、それを教えているのです。
そしてそのイエスの目的は、2000年前にすでに果たされました。
だから今はもう、すべての病人を癒やす必要はありません。
今は病人に対する憐れみと、
神の主権とによって、癒やしが起こるのです。
マタイの書き方の特徴について、あるサイトはこう説明しています。
マタイは預言者達をしばしば引用し「主の預言者を通して言われた事が成就するためであった」という言い回しを頻繁に用いています(1:22-23, 2:5-6, 2:15, 4:13-16, 8:16-17, 13:35, 21:4-5)。
マタイはユダヤ人クリスチャン達にイエスキリストが真に約束されたメシヤであった事を示そうとしていました。ですから、マタイは他のどの福音書よりも旧約聖書の引用が多く、イエスがユダヤ人預言者達の言葉を成就した事を示しています。
上記に挙げられているマタイの箇所を一つひとつ開いてみれば、
マタイ8:16が癒やしの約束ではなく、
マタイの書き方の特徴であることが誰にでもわかります。
でもひとつだけ、例を挙げて見ておきましょう。
マタイ13:34~35
34 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
上記の箇所でもマタイは、8章と同じフレーズ
イエスが預言を成就する目的で例え話を使って話した、と説明しています。
この箇所を「約束」として受け取る人はいますか?
現代でもイエスは例え話ばかりで語る、
という約束として受け取る人はいますか?
いないでしょう。
マタイ8:16~17も同じことです。
「すべての病人を癒やす」という約束ではなく、
旧約の預言を成就したことの説明なのです。
カリスマ・ペンテコステ派の説教者や著者が癒やしの約束だと誤解して説明し、
聴衆や読者もそう「思い込んで」いるのです。
聖書は、病人がみな癒やされる、という約束はしていません。
つづく