「新使徒的改革はカルトである!」 その1
●NARの聖書観
聖書外啓示。神は私たちと直接的な意思疎通をするという考えに、反対する人たちがいます。神が啓示したいと願ったことは、すべて聖書の中に啓示されていると考えているのです。しかしそれは、真実ではありません。なぜなら、聖書は66巻であると聖書の中に書いてないからです。実際、神は200年かけて、どの書を聖書に含め、どの書を除外すべきかを教会に決定させました。除外されたのが聖書外啓示です。しかしカトリックとプロテスタントは、依然として聖書の巻数について合意していません。それに加え、私は祈りが双方向のものだと信じています。私たちは神に語り、神は私たちに語ってくださると期待する、ということです。私たちは神の声を聞くことができます。神はまた、新しい事柄を預言者に啓示するのを私たちは見てきました。神からの新しい啓示を判別する主要な規則は、その啓示がすでに聖書に書かれていることと矛盾しないということです。しかし新しい啓示が、聖書を補足することはあるかもしれません。
(引用終わり)
「新使徒的改革はカルトではない」
●聖書による指摘
{聖書外啓示」「聖書は66巻であると聖書の中に書いてない」
これらの言葉によってワグナーは、神の啓示の範囲を広げようとしています。
私たちプロテスタントは、
第二テモテ3:16~17や黙示録22:18~19に基づき聖書の十全性を信じています。
聖書の啓示/真理が増減することはなく、現状で十分にして完全であるという信条です。
ですからワグナーらNARは、聖書観や啓示論の点でプロテスタントではないことを、はっきりと宣言してるこちになります。
黙示録22:18
もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
聖書が「完結した啓示」であることを教えています。
しかしワグナーは
「神はまた、新しい事柄を預言者に啓示するのを私たちは見てきました」
と言っています。
英文は ”He also reveals new things to prophets as we have seen.”で
「真理」という言葉の代わりに「新しい事柄」と表現していますが、
①「聖書外啓示」を信じると主張している点や
②前後の脈絡から、
と信じていることは明らかです。
NARのメンバーを通して、聖書と矛盾する教えが次々に生まれているのはこのためで、NARの聖書観や啓示論が、カルト的であることを示しています。
●カトリックも認める
引用サイト:カトリック・アンサーズ
聖書全体の聖典は、4世紀が明ける頃には実質的に決定されていました。それ以前は、聖典に関する意見の不一致があり、十数種類の異なる聖典のリストがありましたが、それらのリストのどれひとつとして、こんにちの聖書と合致するものはありませんでした。しかし4世紀が明ける頃には、聖典が正式に確認された(会議の)事例が少なくとも5回ありました。次の通りです。ローマ会議(382年)、ヒッポ会議(393年)、カルタゴ会議(397年)、法王イノケンティウス1世による書簡(405年)、第二カルタゴ会議(419年)。それぞれの事例において、こんにちのカトリック聖書と同じ内容の聖典として確認されました。
(引用終わり)
つづく
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