ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「新使徒的改革はカルトである!」 その1

 
  前記事で紹介したとおり、ワグナーは「使徒的改革はカルトではない」と主張していますが、その主張の中には大きな問題があります。この記事ではその点を述べたいと思います。
 
 
●NARの聖書観
 
聖書外啓示神は私たちと直接的な意思疎通をするという考えに、反対する人たちがいます。神が啓示したいと願ったことは、すべて聖書の中に啓示されていると考えているのです。しかしそれは、真実ではありません。なぜなら、聖書は66巻であると聖書の中に書いてないからです。実際、神は200年かけて、どの書を聖書に含め、どの書を除外すべきかを教会に決定させました。除外されたのが聖書外啓示です。しかしカトリックプロテスタントは、依然として聖書の巻数について合意していません。それに加え、私は祈りが双方向のものだと信じています。私たちは神に語り、神は私たちに語ってくださると期待する、ということです。私たちは神の声を聞くことができます。神はまた、新しい事柄を預言者に啓示するのを私たちは見てきました。神からの新しい啓示を判別する主要な規則は、その啓示がすでに聖書に書かれていることと矛盾しないということです。しかし新しい啓示が、聖書を補足することはあるかもしれません。
                                               (引用終わり)
「新使徒的改革はカルトではない」
 

●聖書による指摘
 
{聖書外啓示」「聖書は66巻であると聖書の中に書いてない」
カトリックプロテスタントは、依然として聖書の巻数について合意していません。」
 
 これらの言葉によってワグナーは、神の啓示の範囲を広げようとしています
 

 私たちプロテスタントは、
 
 第二テモテ31617や黙示録221819に基づき聖書の十全性を信じています。
 
 聖書の啓示/真理が増減することはなく、現状で十分にして完全であるという信条です。
 
 ですからワグナーらNARは、聖書観や啓示論の点でプロテスタントではないことを、はっきりと宣言してるこちになります。
 
 
黙示録2218
もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる
 
 特に上記の箇所は、聖書に新しい真理聖典が付け加えられることはないと言っており、
 
 聖書「完結した啓示」あることを教えてます。
 
    
 しかしワグナーは
 
 「神はまた、新しい事柄を預言者に啓示するのを私たちは見てきました」
 
 と言っています。
 

 英文は He also reveals new things to prophets as we have seen.”で
 
 「真理」という言葉の代わりに「新しい事柄」と表現していますが、
 
 ①「聖書外啓示」を信じると主張している点や
 
 ②前後の脈絡から、

 NARがこんにちでも預言者を通して新しい真理が啓示される
 
 信じていることは明らかです。 

 
 NARのメンバーを通して、聖書と矛盾する教えが次々に生まれているのはこのためで、NARの聖書観や啓示論が、カルト的であることを示しています。
 
 
カトリックも認める
 
 聖典がこれ以上付け加えられないことは、ローマ・カトリックも認めています。
 
引用サイト:カトリック・アンサーズ
 

聖書全体の聖典は、4世紀が明ける頃には実質的に決定されていました。それ以前は、聖典に関する意見の不一致があり、十数種類の異なる聖典のリストがありましたが、それらのリストのどれひとつとして、こんにちの聖書と合致するものはありませんでした。しかし4世紀が明ける頃には、聖典が正式に確認された(会議の)事例が少なくとも5回ありました。次の通りです。ローマ会議(382年)、ヒッポ会議(393年)、カルタゴ会議(397年)、法王イノケンティウス1世よる書簡(405年)、第二カルタゴ会議(419年)。それぞれの事例において、こんにちのカトリック聖書と同じ内容の聖典として確認されました。
                                                (引用終わり)
 
 このようにローマ・カトリックも聖書すでに確立しており、聖典や啓示がこれ以上増えることがないことを認めています
 
 つづく 

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