ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

聖書の神は反戦論者か?

 
 いくつかの参考文献をもとに、聖書の神が反戦論者か否かを明確にしておきたいと思います。
 
●ローマ134「剣」の解釈
 
ローマ134
それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。
 
 ある方々は、この箇所の「剣」は支配者の権威の象徴に過ぎず、実際の武器を意味しないと説明します。まずこの考え方を検証します。
 
The Bible Background Commentary (P441)
 
The sward refers to the standard method of execution in this period (beheading); in earlier times the ax had been used. Swards were carried in front of Roman officials to indicate their authority over life and death.
 
「剣」は、この時代の処刑の標準的な方式(打ち首)について述べている。これより以前は斧が使われていた。剣は、生殺与奪の権を示す目的で、ローマ兵の前面で携帯されていた。
 
The Reformation Study Bible (P1635)
 
The states authority is for societys benefit; this is its normal function, and Paul assumes it may be realized in practical terms even when governments are professedly non-Christian.
 
The sword. The power of life and death. Capital punishment is undoubtedly in view. Elsewhere Paul accepts the principle of such punishment where appropriate (Acts 25:11).
 
国家権力は社会の益のためにある。それは国家権力の標準的な機能である。パウロは、たとえ非キリスト教の政府であっても、この国家的機能が実際的なものとして理解されることを前提に述べている。
 
剣。生殺与奪の権(生かすか殺すかを決定する絶対的権力)。極刑が考慮されていることは、疑う余地がない。他の箇所でもパウロは、適切な状況である限りそのような刑罰の原則を受け入ている(使徒の働き2511)。
 
 
使徒の働き2511
もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。
 
創世記96
人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
 
 上記の参考文献の説明と参照聖句でわかるとおり、「剣」は単なる権威の象徴ではなく、実際の処刑で使用された道具(武器)を意味しています。「支配者」は「神のしもべ」として、「悪を行う人」や「人の血を流す者」に対して生殺与奪の権を執行するのです。
 
 
 このように聖書は、「剣」による死罪の原則を認めており、「剣」という言葉を単なる比喩と解釈することは誤りです
 
 
●ローマ12章との関連
 
 ローマ1219に「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」とあります。
 
 聖書は個人による報復を禁じていますが、その一方でローマ135では「彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います」と言い、「支配者」が「神のしもべ」として、個人が果たせなかった報復を遂行することを教えています。
 
 聖書の神は公正な神です。
 
 反戦主義はこの神の公正さを奪う論理であり、聖書の教えを正しく伝えるものではありません。
 

●その他の聖書的根拠
 
 聖書の神が反戦論者でないことは、他の視点からも理解できます。以下のサイトを参考に、さらに説明します。
 
引用サイト:聖書は戦争について何と言っていますか?
 
引用1
答え: たくさんの人たちが、聖書が「殺してはならない」と言っていることを信じてこの命令を戦争に適用するという間違いを犯します。 しかしながら、聖書は実際「人殺しをしてはならない」(出エジプト20:13)と言っています。このへブル語の文字通りの意味は「敵意をもってほかの人を意図的に、計画的に殺すこと」です(中略)
 

●英語聖書の出エジプト2013
 
 英語の聖書は軒並みmurderという単語を使い、You shall not murder/殺人を犯してはならない」と訳しています。新国際訳、新米標準訳、新欽定訳、その他。
 

The Reformation Study Bible (P123)
Murder. The law distinguishes between manslaughter and premeditated murder. The verve is never applied to Israel at war, and capital punishment was already authorized (Gen.9:6; cf. Lev.24:17; Num.35:30~34). 
 
出エジプト記2013について)
殺人を犯す。律法は、人を殺すことと計画的殺人とを区別している。この動詞はイスラエルの戦闘には一度も使われておらず、極刑はすでに認可されていた(創世記96、参考:レビ記2417民数記353034)。
 
 
引用2
罪人に満ちたこの世界(ローマ3:10-18)では、戦争は避けられません。ときには、罪深い人々が罪のない人たちに対してひどいことをしないようにするためには、その人々と戦争するしか方法がないこともあります。(中略)
 
ローマ31518
「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。
 
ヤコブ412
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。
 
 聖書は、人間の罪が人を殺し、争いを招くことを示しています。国家権力は「神のしもべ」として、人間の罪を罰したり、抑制するために神から権威を与えられています。
 
 罪深い人間社会で反戦論を主張すれば、国家レベルの罪やテロのような組織的犯罪が際限なく横行し、無秩序状態に陥ります。国家権威によって剣を用いて悪を罰することは、罪を抑制する上でも必要なことです。
 
 
引用3
 Iサムエル15:18も「『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え』」と言っています。ですから、あきらかに神さまがすべての戦争に反対されているのではありません。エスはいつでも完全に父なる神さまと同意しておられますから(ヨハネ10:30)、戦争が旧約聖書の中でだけ神さまのみこころだったと論議することはできません。神さまは変わらないのです(マラキ3:6、ヤコブ1:17)
 

神の性質は永遠に同じ
 
主であるわたしは変わることがないマラキ36
 
父には移り変わりや、移り行く影はありませんヤコブ117

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じですへブル138
 
 いわゆる聖戦はこんにち存在しませんが、聖戦を命じていた神の性質は永遠に変わることがありません。また聖書の神は、旧約時代も現代も、また永遠の未来においても、三位一体です。
 
 つまり主なる神がイスラエルの民に聖絶戦争を命じていたときも、父なる神と子なる神は一体で、イエスは父なる神の聖絶命令に100%同意していたのです。この観点からも、聖書の神は反戦論者ではありません。
 
 
引用4
神さまが戦争を絶対に支持されないと言うのは間違いです。イエス反戦論者ではありません。邪悪な者たちで満ちている世界で、ときにはそれ以上の悪を予防するために戦争が必要なこともあります。 もし、ヒットラー第二次世界大戦で敗北していなかったなら、さらに数百万人の人々が殺されていたことでしょう。もし、南北戦争が戦われなかったなら、さらにどれだけ長くアフリカン・アメリカンの人たちが奴隷として苦しんだことでしょう。私たちは、自分たちの信条を感情にではなく、聖書に基づかせなければならないことを忘れてはなりませんIIテモテ3:16-17)。
 
 
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