ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

フランクリン・グラハムへのインタビュー その5


 
2001914日、午後のインタビューの続きです。
 
 
リポーター
グラハム先生は、この国が戦争に向かっているとお考えなのですね。
 
グラハム
はい、そうです。私は本気でそう思っています。どれくらい長くなるかはわかりませんが、100日以内でテロリストたちを攻撃して打ち負かすのは不可能です。湾岸戦争のようなわけにはいきません。時間がかかるでしょう。
 
リポーター
ベトナム戦争以来、もしかしたらそれ以前からかもしれませんが、アメリカは若い兵士たちを遠い地の果てに派遣して死なせることには否定的になってます。国民は必ずしもそれに理解を示していませんし、支持していません。しかし先生は、今回は別だとおっしゃっています。
 
グラハム
今回は別です。今回の場合は、この国の安全のためですから。このように言うと荒っぽく聞こえるかもしれませんが、敵を倒すためには、武器庫にあるあらゆる武器を使用する必要があります。差し控えるべきだとは思いません。強力な武器の使用は聖域だからという理由でこの国が持っている技術や武器を差し控え、若い兵士たちを投入して犠牲にするなら、この国は大きな過ちを犯すことになるでしょう。ここまで言いたくはありませんが、敵を倒すのに必要になるのであれば、保管されている地獄のようなあらゆる武器も使わざるを得なくなると思います。
 
リポーター
アメリカ国民は、アメリカの若者を死なせる覚悟があると本当に思われますか。
 
グラハム
いいえ。しかし国民はこのような攻撃を阻止し、若者たちをむやみに死なせないようにする心づもりはあると思います。確かに、何人かの若者たちが命を失うことになるかもしれません。そうならないことを祈ります。だからこそ、この国が所有する武器を使う必要があると思うのです。若者たちを犠牲にするのではなく・・・(聞き取り不可)この国が持っている武器を使いましょう。必要なら大量破壊兵器を使って、敵を滅ぼしましょう。
 
リポーター
ワシントンの国立大聖堂前の映像をお届けしています。昨日、ブッシュ大統領によって招集された祈祷礼拝がたったいま終わったところです。先ほどお伝えしましたとおり、クリントン前大統領、ゴア前副大統領など、歴代の大統領らが一堂に会するという通常では見られない光景です。ブッシュ大統領がこの礼拝に参加するよう具体的に指名しました。
 
アメリカ議会の議員やブッシュ政権のメンバー、また苦しんでいる家族らを含め、大聖堂内にいる人々の多くは感情を抑えることができない様子で、感情的なっていることがはっきりと見受けられます。恐らくその人たちは安否が確認できない方々や国防総省やニューヨークで亡くなられた方々の家族と思われます。
 
グラハム
大統領の演説は、私が最近聞いた演説の中でもっとも優れたスピーチだったと思います。大統領の言葉は、アメリカ市民の心に響いたと思います。演説は、他の人を救うために自分を犠牲にした人々、消防士や司祭、また公務員の制服を着た者として職務を果たした真の英雄たちの話を思い起こさせました。国民が前に進む心備えをして、この事件に取り組もうとしている今、この瞬間はこの国においてもっとも意義ある瞬間だったと思います。
                    
                     (2001914日のインタビュー終わり)
 
 
ここまでのグラハムの発言について
 
 このあとグラハムの発言について考えますが、その前に注意点を確認しておきたいと思います。
 
 批判者さんが主張している内容は、歴代のアメリカ政府に対して言うべきものであり、フランクリン・グラハムに責任をなすりつけるべきではありません。
 
 上記のグラハムの発言は2001914日ですが、批判者さんが提示している情報は、何十年も前のことから、ここ数年で明らかになったことまでを含んでいます。しかもそれらが真実だとしても、歴代のアメリカ政府に責任がある内容ばかりです。
 
 たとえばヒラリー・クリントンが、「私たちがテロリストを生み出した」というとき、この「私たち」の中にグラハムは含まれていません。冷戦後にアメリカ政府が秘かに何かをもくろんだとしても、グラハムがそれにかかわったわけではありません。しかもヒラリー氏がそう語ったのは、グラハムの発言から11年たった2012年のことです。
 
 上記の発言時のグラハムの思いの中に、存在すらしていないような情報に基づいて彼を断罪するなら、それはお門違いというものであって大きな間違いです。批判者さんは論理をすり替え、過大な責任をグラハムになすりつけようとしています。私たちは、そういう不当な評価の仕方をすべきではありません。
 
 またイラク戦争が実際に始まったのは20033月で、上記のグラハムの発言から約1年半後です。この間、大統領や軍の上層部などが戦争を開始するか否かを検討しました。
 
 さらに上院下院による議決をへたのち大統領の署名がされて、はじめて戦争が開始されました。グラハムは防衛戦争を肯定する発言をしましたが、彼自身が戦争を始めたわけではありません。
 
 
●検証
 
 これまでの記事で取り上げてきた聖書箇所と照らし合わせると、彼の発言にある、個人的には復讐してはならないが国家による防衛の戦争は必要だ、という点で聖書と一致しています。
 
 しかし、行き過ぎた発言もあると思います。なぜ、そう言えるのでしょうか。
 
ローマ134
彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います
 
 この箇所の「報います」の部分は意訳させれています。原典では「復讐者」という言葉がこの部分に使われていますが、日本語の聖書はそれを割愛しています。
 
新米標準訳
for it is a minister of God, an avenger who brings wrath on the one who practices evil.
新欽定訳
for he is God’s minister, an avenger to execute wrath on him who practices evil. 
彼は神の奉仕者であり、悪を行う者に怒りをもたらす復讐者だからです。
 
彼は神の奉仕者であり、悪を行う者に怒りを行使する復讐者だからです。
 
 
 「神の奉仕者」であり「復讐者」であるのは、国家の権威者であってグラハムではありません。ですから彼が報復の手段や戦術にまで踏み込んで発言するのは、分を越えていると思います。
 
 この点で彼は、行き過ぎていると思います。具体的には以下の部分です。

 
「このように言うと荒っぽく聞こえるかもしれませんが、敵を倒すためには、武器庫にあるあらゆる武器を使用する必要があります。差し控えるべきだとは思いません。強力な武器の使用は聖域だからという理由でこの国が持っている技術や武器を差し控え、若い兵士たちを投入して犠牲にするなら、この国は大きな過ちを犯すことになるでしょう。ここまで言いたくはありませんが、敵を倒すのに必要になるのであれば、保管されている地獄のようなあらゆる武器も使わざるを得なくなると思います。
 
だからこそ、この国が所有する武器を使う必要があると思うのです。若者たちを犠牲にするのではなく・・・(聞き取り不可)この国が持っている武器を使いましょう。必要なら大量破壊兵器を使って、敵を滅ぼしましょう。」
 

 行き過ぎがあり、また彼の発言には影響力があります。しかし先に述べたとおり、決定したのは彼ではありませんし、実際の戦術を考えたのも彼ではありません。言い換えれば、影響力を持つ人物が失言をしたということだと思います。
 
 ですから批判者さんをはじめ、日本の多くのクリスチャンが主張しているほど大きな責任は、グラハムにはないと思います。 

 
 
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