イラク戦争 グルーデムによる評価
大なり小なり私たちの多くは、「私たちがイラク戦争に対して持っている印象」という眼鏡をとおして、フランクリン・グラハムを見ているのではないでしょうか。
引用元:「聖書に基づいた政治」ウエイン・グルーデム著
1)これらの戦争は正当な理由で行われた。まずはじめに、アメリカはすでに9・11でイスラム教テロリストの攻撃を受けていたし、それ以前にも受けていた。第二に、イラクとアフガニスタンでの戦争は、イスラム教テロの温床となっている地域に対する戦争であった。それゆえ二つの戦争の主たる根拠は、同様のテロ攻撃に対する国防であった。テロ攻撃は特定の国からのものではなく、様々な国々から支援を受けるテロリストの国際ネットワークによるものだからだ。タリバンとアルカイダはアフガニスタンを支配していて、そこを拠点としてテロ攻撃を実行していた。中東ではサダム・フセインが訓練用地の提供し、テロ行為への支援を繰り返していた。フセインは、イスラエルで自爆テロを実行したすべてのテロリストの家族に25,000ドルを支払っていたし、大量破壊兵器を開発し、おそらく所有もしていた。イラク戦争に関する正当な理由としては、サダムは1993年の第一湾岸戦争後、まったく降伏を認めていなかった。核兵器を所有していないことを証明する査察団の受け入れを、彼が拒否しつづけていたことがその理由である。
イラク侵攻後、大量破壊兵器は発見されなかったが、アメリカと多くの西側諸国の情報機関は、フセインが生物化学兵器を所有していることを確信していた。(彼はそれを、イラク北部のクルド人に対して使用したことがあった。)また、フセインが核兵器を手に入れようとしていた実質的な証拠もあった。(イスラエルは1981年6月7日の時点で、サダム・オシラク原子炉を奇襲攻撃によって破壊していた。イスラエルは、サダムがその原子炉を使い、すぐにでも核兵器を開発できると確信していたからだ。)イギリスのBBC放送によると、イスラエル政府はその攻撃の理由を、次のように伝えている。「広島の原爆と同等の威力を持つと思われる原子爆弾を、その原子炉から得られるウラニウムあるいはプルトニウムを使って作ることが可能だった。イスラエル国民の生命の危険が急速に高まっていたのだ。」
これに加え、先述の情報機関の報告が正確であったことを信じるに足る理由がある。それは複数の信頼できる情報筋が、アメリカによる侵攻の直前、サダムが膨大な量の大量破壊兵器をシリアに移送したと報告しているからだ。2004年1月には、フランスの報道機関Agence France Pressが次のように報告した。
国外追放されたシリアの反体制派の人物は、昨年の3月(2003年3月)のアメリカによるイラク侵攻の直前、イラクの生物化学兵器が秘密裏にシリアに持ち込まれたと繰り返し主張している。「イラクの生物化学兵器は、最初、ダマスカスの本部にある(シリア)大統領警備軍の倉庫に持ち込まれた」と、ニザー・ナヨウフがフランスの中東情報専門のインターネット・ニュースサイト「プロシェ・オリエント・インフォ」に語った。彼によると、移送計画は「サダム・フセインが、イラクに対するアメリカの行動計画に気づいた2003年2月から3月の間に」行なわれた。移送計画は、シリアのアサド大統領の警護隊長で、大統領に近いとされるゾウルヒムラ・シャリチ将軍の監督下で行なわれた。ナヨウフによると、この情報は「移送計画に加わった複数の軍の幹部」から得たものである。
しかしこの戦争に、より大きな意義があった理由は、イラクにおける自由で民主的な政府の樹立という確信を、ブッシュ大統領と上下院両院の指導部が持っていたことである。それが実現すれば、アメリカを幾度となく攻撃したイスラム教テロに対して、長期的な解決策を生むことになるからだ。開かれた民主主義によって統治される国家は、他国をむやみに攻撃するために、戦争を起こすことはないからである。(中略)
イラクでは現在、真の民主主義が機能しつつある。憲法制定会議の代表者選挙をはじめとして、2005年10月15日には憲法認定選挙が行われ、その選挙では有権者の63%が投票し、賛成78%で憲法を可決した。さらにその後も成功を収めた選挙として挙げられるのは、2005年12月15日に行われた国会議員選挙と、2010年3月7日の国会議員選挙である。(中略)
私(グルーデム)が期待しているのは、このようなプロセスにより、イスラム教テロ撲滅に向けての長期的な希望がもたらされることだ。イスラム教国で民主主義が機能するようになれば、最終的にはテロリストの訓練施設や隠れ蓑となる場所が消滅するからである。
2)イラク・アフガニスタン戦争は、議会によって承認されている大統領という適切な権威者によって宣戦布告されました。
5)どちらの戦争も最終手段でした。他の交渉や外交努力が何年間も行なわれたしたが、両国に大きな変化はありませんでした。
7)戦争がもたらした善の割合は、どちらの戦争においても多大でした。両国からのテロは、世界中に脅威をもたらしていましたし、両国の政府が交替することは、善に大きく貢献すると考えられたからです。事実、両国における結果の現れとして、民主主義が機能しています。合わせて6000万人近くの人々(イラクで2900万人、アフガニスタンで2800万人)が公式に極度の圧政下に置かれていましたが、現在は自由に暮らしています。これは素晴らしい結果です。
8)二つの戦争は、正しい精神によって遂行されました。戦争をしなければならかったことへの遺憾の意を持ちながらも、良き結果を確信する決意も持っていたからです。
(引用終わり)
●おわりに
グラハムの発言は戦争に関する聖書の教えと関連しており、批判するにおいても聖書に基づいてそうするべきです(使徒17:11、第一テサロニケ5:21)。
日本のキリスト教界において、戦争一般についての聖書的研究が進展することを願います。
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