ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

セレブレーション・オブ・ラブ反対派 必見!


マルコ1214
先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。
 
 
 この聖句の「人の顔色を見ず」という部分を原典で調べると、
 
「人(複数形)の顔(単数形)を覗き込むことなく」と書かれています。
 
 直訳すると、「何人かの人たちの、ひとつの顔だけを見ない」ということになります。
 
 言い換えると、イエス・キリストは、全員を公平に見るお方だったということです。
 
 
 セレブレーション・オブ・ラブに反対したの人のほとんどは、フランクリン・グラハムに批判的だからだと思います。
 
 しかし私たちは、「フランクリン・グラハム国際大会反対声明」を掲載している人たち(ほとんどが日本基督教団所属)が、どのような考えで彼を批判しているかをどれだけ知っているでしょうか?
 
 彼らの実態を知った上で、その意見に賛同しているのでしょうか?
 
 この記事では、聖書信仰の立場から、その人たちの実態について考えたいと思います。
 
 
反対派は反聖書信仰
 
 「フランクリン・グラハム国際大会反対声明を見ると、以下のような一節があります。
 
フランクリン・グラハム氏は父の創設したビリー・グラハム伝道協会を継ぎ、またキリスト教原理主義団体の会長も務めています。
 
 声明を出した人たちが、「キリスト教原理主義団体」という言葉を使っていることに着目してください。
 
 聖書を神の言葉として信じている人は、「キリスト教原理主義」(ファンダメンタリズム)という表現は使いません。これは反聖書信仰の人たちが使う表現です。

 以下にウィキペディアから引用します。
 
保守的福音派側からは、「ファンダメンタリストという名称ぐらい敵意に満ちた侮蔑的な差別用語は、おそらくキリスト教界には見当たらないのではなかろうか。」と言われている。おもにキリスト教会外のマスコミや、この立場の教派に対して思想的に批判的なキリスト教内での立場から保守的キリスト教を指して使用されることが多く、蔑称としての意味合いも強いので使用には注意が必要である。
 
日本基督教団においては、神社参拝をしないクリスチャンファンダメンタリスト、その立場をファンダメンタリズムと呼んだ
 
                         (引用終わり、強調はダビデ
 
 
 このように、グラハム招聘の反対者たちは、アンチ聖書信仰なのです。聖書を誤りなき神の言葉として信じる信仰を「キリスト教原理主義」と呼び、侮蔑している人たちです。
 
 実際、「フランクリン・グラハム国際大会反対声明」の掲載元(声明文の左上のリンク)を開いてみると、おおかな通信という市民運動の団体であることがわかります。
 
 つまりグラハム招聘に反対している日本基督教団の人たちは、市民運動の一環としてそれをやっているのです。
 
 フランクリン・グラハムが聖書を誤りなき神の言葉として信じていることが、反対理由の一つだということです。
 
 
●乗せられた
 
 福音主義であるはずの多くのクリスチャンが反聖書信仰の運動に乗せられ、彼らの手先のようになってグラハムやセレブレーション・オブ・ラブを批判したわけです。
 
 それを霊的に見た場合、誰に乗せられたのでしょうか?
 
 聖書の神でないことは明らかです。
 
 グラハムを非難している兄弟姉妹には、ぜひその点を考えていただきたいと思うのです。
 
 
●御言葉を愛そう
 
 神の言葉を愛していた詩篇の著者は、このように謳いました。
 
私は二心の者どもを憎みます。しかし、あなたのみおしえを愛します。・・・
今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。
それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。・・・
ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを詩篇119113127159
 
 
 私たちは御言葉を愛し、神の言葉として固く信じるべきです。リベラル主義者の意見に惑わされることがないよう、注意しましょう。
 
 
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