ダビデの日記

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「繁栄の福音」5つの誤り その2


 「繁栄の福音」の誤りの2番目です
 
引用元:ゴスペル・コーアリション


誤り2:イエスの贖いは物質的貧しさの罪の赦しも含む
 
 神学者のケン・サールズは「繁栄の福音の神学的評価」という記事の中で、「肉体の癒やしと経済的繁栄は贖いの中に含まれている」と主張しています。
 
 コープランドの次の言葉に照らすなら、サールズの主張は正しく思えます。「クリスチャン生活の基本原則とは、神が罪や体調不良、疾病、悲しみ、嘆き、貧困をイエスの十字架につけたとを知ることである。」
 
 この誤解は、繁栄の福音を提唱する人たちが犯している二つの誤りに起因するもので、贖いの範囲の理解が間違っています。
 
 まずはじめに、繁栄の神学の信奉者の多くは、イエスの公生涯について基本的な誤解をしています。
 
 たとえばジョン・アヴァンツィーニという教師はTBNという番組で、イエスは「大きくて素敵な家」に住んでいた、「イエスは大金を扱っていた」、イエスは「デザイナーズ・ブランドを着ていた」などと教えています。
 
 キリストの公生涯についてこのような曲解をする人なら、キリストの死について曲解しても無理はありません。
 

 贖いに関する二番目の誤りは、第二コリント89の解釈の間違いです。
 
あなたがたは、私たちのイエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
 
 浅い読み方をすると、まるでパウロが経済的な豊かさについて教えているかのように思えます。しかし文脈に従って読むなら、まったく逆の原則を教えていたことがわかります。
 
 パウロがコリント教会に教えていたのは、キリストは贖いにおいて多いなることをしてくださったのだから、クリスチャンは自分を空しくして、自分の経済をもって主に仕えるべきだということです。
 
 ほんの5節あとの14節で、パウロが「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補う」と述べて、貧しい兄弟のために捧げ物をするよう勧めているのはそのためです。
 
 
訳注
主は富んでおられた」=受肉前のキリストが、神として万物を所有している様。
貧しくなられました」=受肉して人間としての制約を受けたこと。疲れ、空腹など。「あなたがたが富む者となる」=キリストの犠牲により信者が霊的に豊かな恵みを受けること。救い、罪の赦し、喜び、平安など。
 
 
つづく
 
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