良いディスカッション
例えば、皆さんのコメントの中で重複してたものの中に、四福音書の内容の違いがありました。
このような疑問が生まれてくる原因の一つは、私たちが「すべての真理」という字面だけを捉えてるからだと思います。
ヨハネ16:13
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
しかし、すべての聖句は文脈の中で理解する必要があります。
主イエスがこの箇所の言葉を語られたとき、自然科学を通して現代に知られているすべての真理という意味で語っていないことは皆さんも了解するところでしょう。
聖霊の啓示によって、十二弟子は全知を有する天才になったわけではありません。
つまり、この箇所の「すべての真理」という表現には文脈的な制限があるのです。
では、その文脈とは何でしょうか?
要するにこの箇所の「すべての真理」は、ヨハネ14:26の「わたしがあなたがたに話したすべてのこと」と同じことを指しているのです。
ヨハネ14:26
もう一つ重複していたのは、皆さんが「思い起こさせてくださいます」と「書かせてくださいます」を混同していることです。
弟子たちは、思い起こさせられた事柄の中から、自分が書くべきだと判断したことを、自分の文書スタイルで書いたと考えるべきです。
ですから、ミクさんのようにヨハネの箇所がすべてのクリスチャンに適用できると考えるのなら、
現代の私たちも自分の個性やスタイルに応じて、聖書(の一部)を書けるという話になります。
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また、1コリント13:9の「私たちの知っているところは一部分であり」という部分を引用したコメントは、ある意味でとても良い質問だと思います。
1コリント13:9
というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
その理由を説明します。
1コリント13:9の「一部分」というのは、10節の「完全なもの」との対比で語られています。
この「完全なもの」というのは、終末にもたらされる完全な状態に回復した世界を指しています。
ですから、1コリントの箇所の「一部分」には、文脈的な制限がありません。
一方、ヨハネの箇所は公生涯という限られた文脈です。
ミクさんは、再び同じ過ちを繰り返しているわけです。
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(強調はダビデ)
ミクさんが聖書の権威を擁護する立場をとっているのなら、考えを変えたほうがいいと思います。
終わり